永代橋コレクション【人の心に沁み入り自然に溶け込む帝都の門】

筆者こと編集部の中の人がまだ地方在住の中学生のころ。ときは90年代、いわゆるトレンディドラマに登場する橋に無性に心惹かれた。
地方都市ではお目にかかったことのない斬新なデザインの橋。躯体は美しい弧を描き、夜は青くライトアップされ、劇中の印象的なシーンに華を添えていた。
「東京にはこんなにもステキな橋があるのか!」と感動した記憶がある。それまで縁遠かった東京という街にひそかに憧れをいだいた。この橋が「いつか東京に住みたい、働きたい」と思ったきっかけだったと言っても過言ではない。
しかしこの永代橋にとって、そんなドラマのロケ地となったことなど取るに足らない出来事。永代橋は、永く奥深い歴史を有しているのだ。
現在の永代橋は、内務省復興局によって建造された。「復興」とは、関東大震災からの復興を意味する。つまり大正時代の作品(1926年)だ。ドイツ・ライン川のルーデンドルフ鉄道橋(現存せず)をモデルとした、日本で最初のバランスドタイドアーチ橋だった。戦争や災禍に耐え、2000年には清洲橋(きよすばし)と共に第一回土木遺産に、2007年には勝鬨橋(かちどきばし)も加えて国の重要文化財に指定されている。
遠目からはしなやかな曲線が美しいが、近くで見ると薄い鋼板を留めるためのリベットが武骨さを醸しだしていて、すこぶるマッチョ。この二面性も永代橋の魅力である。
さて、設計に関わったメンバーの中には、当時逓信省から復興局に出向していた山田守の姿があった。
復興局土木部長・太田圓三や橋梁課長・田中豊の下、設計をおこなった竹中喜忠らとの作業の中で、山田守がデザインにどこまでどのように関与したのかは定かではない。大正生まれの橋周辺は時代の変遷とともに激変し、平成期の象徴ともいえるタワーマンションや東京スカイツリーが背景となっても永代橋の美しさは変わらず、むしろどっしりした永代橋を見ると落ち着く。それはなぜか?
いつだったか、彼の孫で『人はなぜ日本武道館をめざすのか』作者のY田Y子さんが、「おじいちゃまは富士山の稜線を模した日本武道館の屋根に象徴されるように『自然界に直線はないんだよ』と言っていました」と教えてくれた。
ここで建築史家・長谷川尭氏(昨年逝去、今期大河ドラマ主演・長谷川博己の実父)の言葉を引用する。
「山田さんは、とにかく建築の外形ということに関しては誰よりも本気であった建築家だ。そして、その形がひとの心になじむことをいつも真剣に考えていたひとであったことに、やっと最近になって私は気づいた」
あくまで推測だが、山田守のこのような哲学は、永代橋のデザイン監修においても存分に発揮されたのではないか。それは時空を超え、ブラウン管越しに地方在住の少年の心を打った。そしていまも、東京砂漠に生きる筆者の心の支えである。
彼らの匠のワザには、感謝してもしきれない。
写真/Adobe Stock、編集部
参考文献/『近代日本の橋梁デザイン思想 三人のエンジニアの生涯と仕事』中井祐
- 所在地
- 東京都中央区新川一丁目,江東区永代一丁目
- カテゴリ
- 橋梁
- 用途
- 道路・トンネル・橋梁
- 文化財指定日
- 2007年6月
- 着工年月
- 1924年12月
- 竣工年月
- 1926年12月
- 発注者(事業主)
- 内務省復興局
- 設計者
- 内務省復興局土木部(原案:田中豊、太田圓三 設計:竹中喜義、成瀬勝武 意匠設計:山田守、山口文象)
- 施工者
- 大丸組・間組
- 構造形式
- 下路式3径間鋼ゲルバー式タイドアーチ橋
- 規模
- 橋長185.2m
- 工法
- 基礎はニューマチック・ケーソン工法
- 建材
- デュコール鋼(高張力鋼) / コンクリート / 花崗岩
- 最大支間
- 100.6m

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