旧晴海高層アパート・コレクション【1958年生まれの湾岸デザイナーズ・タワマン】

1955年に発足した日本住宅公団は模索していた。これからの日本のあるべき集合住宅の姿というものを。
日本住宅公団はすでに郊外において建てられた中層集合住宅で「食寝分離」の考え方に基づくダイニングキッチン(『DK』という言葉はココで誕生!)を提唱。「10 年間で30万戸を供給する」という壮大なミッションを掲げ住宅不足を解決させながら、さらに東京湾岸部の晴海団地で、高層集合住宅建設を計画したのである。
このチャレンジングな試みにおいて白羽の矢が立ったのは、モダニズム建築で知られる建築家・前川國男率いる前川建築設計事務所。前川は師であるル・コルビュジエ設計のユニテ・ダビタシオン(1952年竣工、フランス・マルセイユ)を参考に、 168 戸、地上10 階建、SRC造の巨大集合住宅像を描いてみせた。
それが晴海高層アパート(1958年竣工)である。
「中層住宅と同じコストで高層に、あと専用面積は13坪でオナシャス!」という厳しい制約条件にもかかわらず、奮起した前川らは匠の技をふるった。3 層 6 住戸分を一単位とし、天地左右の住戸を一体化させることも見越したメガストラクチャー架構方式、スキップアクセス形式など技術的見どころも満載だった。
もっともこの晴海高層アパート、銀座が近く東京湾の潮風が感じられるだけあって、いまで言うところの湾岸エリアのタワマンのような扱い。朝は階下に運転手付の黒塗り送迎車がズラリと待機していたそうな。家賃も1万3000円前後(当時の公団住宅の2~3倍、公務員初任給と1.4倍!)とそれなりにお高かったそうだが。
しかしこの高層住宅の意欲作は住戸一体化など試されることもなく、やがて時代の流れに取り残されたまま39年という意外なほどの短命で姿を消してしまった。理由のひとつは「あまりにも立地が良かったから」だったとか……。
さて、その遺構は北八王子というシブい立地の「UR都市機構 集合住宅歴史館」に移設復元。非廊下階/廊下階の部屋やエレベーター、階段などがひっそりと生き残っている。
かつて眺めがよかったバルコニーから、いま、海を臨むことはかなわない。が、この展示を観るために足を運ぶ価値は絶対にある。1958年製の抜けがいい非廊下階部屋は、2020年に生きる人間の多くが足を踏み入れたらこう驚くはずだ。
「えっ……いま住んでる集合住宅よりよほど豊かな空間じゃん!」
- 所在地
- 中央区晴海1-8
- カテゴリ
- 住居
- 用途
- 集合住宅・マンション
- 状態
- 解体
- 階数
- 地上10階
- エレベーター数
- 2基
- 戸数
- 168 戸
- 解体
- 1997年
- 延床面積
- 9,355㎡
- 竣工年月
- 1958年
- 発注者(事業主)
- 日本住宅公団
- 設計者
- 前川建築設計事務所(大高正人、河原一郎、奥村珪一、大沢三郎ほか)
- 構造設計者
- 横山構造設計事務所(木村俊彦)
- 設備設計者
- 寺岡泰次郎、横山錠治
- 施工者
- 清水建設株式会社
- 管理運営
- 日本住宅公団
- 構造
- 鉄筋鉄骨コンクリート造
- 構造形式
- メガストラクチャー構造
- 規模
- 地上10階建

RECOMMEND編集部おすすめの記事
-
【橋脚崩壊】阪神・淡路大震災のダメージから阪神高速道路はいかにしてよみがえったのか【インフラ復旧】 66 2.8K
-
建設業界のイノベーター・助太刀CEOの我妻陽一氏は「『業界をぶっ壊す!』ではうまくいかない」と堅実に歩を進める【前編】 210 3.6K
-
【みんなで考えるオープンデスク】フリーランチ代表 納見健悟さんは「労働法で考えれば未来は開ける」と提案する 95 2.7K
-
【建設×障害】「パーフェクトワールド」モチーフの車いす建築士が障害を抱えてはじめて得た“視点” 19 2.8K
-
川田テクノロジーズ社長・川田忠裕氏は「人間と技術」の可能性を信じ未来を拓く【前編】 57 3.4K
-
難所をつらぬく国道45号線と「3.11」復興の歩み【戦後インフラ整備70年物語】 17 1.1K