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ロンロ・ボナペティの「名建築の横顔~人と建築と」【6】アントニン・レーモンドの聖路加国際病院旧館

ロンロ・ボナペティの「名建築の横顔~人と建築と」【6】アントニン・レーモンドの聖路加国際病院旧館

「あの名建築」は、いま、どのように使われているのだろうか?

竣工当時も高く評価され、いま現在も変わらぬ価値を維持し続けている建築を取材する本シリーズでは、建築と、それに関わる人びととの関係を探っていく。


聖路加国際病院旧館──。

その来歴に興味を抱いたのを、あとで後悔することになるとは予想していなかった。

聖路加国際病院は、明治初期の外国人居留地にできた診療所をルーツとし、根拠地を変えることなく診療と宣教の場としてあり続けてきた。

旧館は関東大震災を経験した病院が、次世代に想いを託し完成させた「平和の宮殿」である。

まさに明治以来の東京の歴史を背負った生き字引のような建築を、連載の一記事として紹介するのは筆者の手に余るのではないだろうか……。そんな不安とともに取材へ向かった。

紆余曲折を経て完成されたデザイン

まず、生い立ちからしてストーリーを感じさせる。

基本設計まではアントニン・レーモンドによる、インターナショナル・スタイルの建築としてデザインされていた。

レーモンドといえば帝国ホテル設計のため来日したフランク・ロイド・ライトに師事し、ライト帰国後も日本に居を構え日本建築の近代化に大きく貢献した建築家だ。

彼の設計した本館は、中央にチャペルが配置され、両翼に病棟がつながる、一切の装飾が排除された当時最先端のデザインである。

ところが施主である聖路加国際病院の初代院長、ルドルフ・ボリング・トイスラーと対立し、設計監理から外されてしまう。その後、設計はジョン・ヴァン・ヴィ・バーガミニーに引き継がれる。

結果的に、全体の基本的な構成はレーモンド案を踏襲しつつ装飾的要素が付加され、チャペル部分のデザインは大きく変更が加えられネオ・ゴシック様式に改められた。

レーモンド案よりも高さを抑えられた尖塔は、それでも当時の築地においては大きな存在感をもち、病院利用者や地域の人々に愛されていたようだ。

チャペル内部(写真/学校法人国際大学)

1階エントランスホール

竣工当時と変わらぬ姿を残すエントランスホールとチャペルは見応え十分で、東京都選定歴史的建造物にも登録されている。

竣工から90年近くが経ったこの建築が、保存された経緯もまた面白い。

聖路加国際病院は3つの街区に分かれており、第1街区にこの旧館が、1992年に完成した新病院が第2街区に建ち、第3街区はテナントの入るオフィス棟とケアレジデンス・ホテルの入るレジデンス棟の2棟からなる超高層ビル「聖路加タワー」となっている。

病院建築は定期的な各種建築設備の更新が必要となる。

最新機器を導入するだけの空間的キャパシティ不足やスプリンクラーの付置義務、経年劣化による配管類の寿命といったさまざまな問題から、新病院の建設が計画された。旧館を解体する選択肢もあったなか、現在では定番となった「ある措置」によって保存されることに――。

その経緯をくわしく知りたい。そして残されたチャペルがいま現在、どのように病院に息づいているのか知りたいと、新病院建設にも携わり旧館をもっともよく知る小室克夫さんにお話を伺った。

取材に対応してくださった小室さん。トイスラー記念館(後述)にて

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ロンロ・ ボナペティ
ロンロ・ ボナペティ
「専門知識がなくても楽しめるように建築の魅力を伝える」がモットーの建築ライター・編集者(と名乗る黄色い鉛筆)。大学院の建築コースを修了後、建築系のコンテンツ制作に携わる。国内外の都市や建築を巡って得た気づきをコンテンツプラットフォームのnote(https://note.mu/ronro)で発信中。
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