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ロンロ・ボナペティの「名建築の横顔~人と建築と」【6】アントニン・レーモンドの聖路加国際病院旧館

ロンロ・ボナペティの「名建築の横顔~人と建築と」【6】アントニン・レーモンドの聖路加国際病院旧館

「後輩のため」――長期的ビジョンをもった病院経営

「新病院の計画がもち上がったのはちょうどバブルの時期です。土地代も高騰していましたから、第3街区を売却するという案も出ていました」

その金額を聞いて驚く。新棟の建築資金どころか、その後の病院運営に大きく寄与する額だ。

事業としては当然あり得る選択肢だが、なぜそうしなかったのか。

「『土地を売ってしまっては、将来、後輩が困るだろう』と。そこで第3街区の活用案を募り、現在の複合オフィスビルとして貸し出すこととなりました。毎年の土地収益は今後の建物の管理や将来の病院建設のための費用に充てることになっています」

第3街区を貸し出し第2街区に新病院を建設する、その結果第1街区の旧館は保存されることが決まった。

 

その際、少しでもオフィスビルの事業効率を高めるため、策を練ることに。

「設計を担当した日建設計が都の担当者に掛け合って、いくつかの条件のもと、第1街区、第2街区、第3街区の各街区の容積率を上乗せしてもらえるようにしたんです」

公開空地を設けること、災害時の救護拠点として活用できるようにすること、クリーンなエネルギーを使うこと、そしてもうひとつが、歴史的建造物を保存すること。

旧館のチャペルおよび当時第3街区に建っていたトイスラー記念館の、第1街区への移築保存が条件に含まれている。

丸の内の再開発事業で適用例が見られる特例措置の第1号が、ここ聖路加国際病院で行われたのだ。

さらに、第1街区と第2街区の容積率をそれぞれ必要最小限に抑え、各街区で余った容積率を第3街区の聖路加タワーに移転した。

異例尽くしのプロジェクトの成功には、多大な苦労も伴ったことだろう。

「プロジェクトに携わったみなさんがこのチャペルを見に来て、『これは保存すべき価値がある』と。その想いは共有できていたと思います」

隅田川対岸から見た聖路加タワー。その奥に新病院、旧館が連なる

個人的に疑問だったのが、現在のチャペルの位置付けだ。

保存工事の際、チャペルを含む旧館の中央部分を残し、両翼を新たに建て替えている。エントランス側から見て右手側には診療施設・寮が、左手側には寮・聖路加看護大学(現:聖路加国際大学)が建設された。その中央部分にチャペルが鎮座する形式は、竣工当時と変わらない。

チャペルを残し、そのほかの部分を建て替えるのであれば、新築部分と接続しないほうが、新しい機能に適したプランニングが可能だったのではないか。

実際、旧館と接続する部分は廊下幅や天井高などが旧館と揃えられており、現在の病院建築の常識からするとすこし窮屈な印象も受ける。

中央がチャペル、右手前が寮ならびに聖路加国際大学の建物

その疑問に対する小室さんの答えは、「チャペルを中央に配置することは、保存が決まった段階で前提となっていました」というシンプルなもの。

理事会の総意といっていい。「保存は当然のこと」として推進されたようだ。それだけチャペルの存在が、聖路加のアイデンティティとして重要だった、ということなのだろうか。

それにしても、完成後60年以上が経過していたチャペルを残すにあたって、病院の機能とは独立させて、記念碑的に残す選択肢が検討されても良さそうなものだ。

疑問を抱えたまま館内を案内していただくなかで、筆者は決定的な思い違いをしていたことを思い知らされた。

 
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WRITER
ロンロ・ ボナペティ
ロンロ・ ボナペティ
「専門知識がなくても楽しめるように建築の魅力を伝える」がモットーの建築ライター・編集者(と名乗る黄色い鉛筆)。大学院の建築コースを修了後、建築系のコンテンツ制作に携わる。国内外の都市や建築を巡って得た気づきをコンテンツプラットフォームのnote(https://note.mu/ronro)で発信中。
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