ロンロ・ボナペティの「名建築の横顔~人と建築と」【6】アントニン・レーモンドの聖路加国際病院旧館

「残す」のではなく、「生かす」
小室さんの案内で施設を見学させていただく。
入館口で出迎えてくれたのは、旧館の冷蔵庫の上に掲げられていたという彫刻だ。
「日本人と外国人、双方のスタッフがいるので、冷蔵庫に何が入っているのか、文字ではなく視覚的に理解できるようにしたんですね。今だったらバイリンガルで表示するんでしょうけれど」
それぞれ肉、魚、穀物のモチーフがあしらわれている。

老人と唐子と牛の彫刻
荘厳なエントランスホールにも、病院ならではの遊び心が。
ネズミやハエなど、建築の彫刻としては相応しくないように見える動物や昆虫が設置されている。
「『病気を媒介する動物や昆虫に注意するように』という戒めですね」
多国籍のスタッフが同居する環境で生み出されたビジュアルコミュニケーションの工夫が、時代を超えてわたしたちの目を楽しませてくれる。
床に設置されたネズミ(上)と、壁面に設置されたノミ(下)のレリーフ
竣工当時からの姿を残す、エントランスホールやチャペル、ロビーの空間はまさにトイスラーが「官公立の病院に比して、遜色のなきもの」を、と熱望した本気の建築という印象だ。
時代劇にでも登場しそうな空間を、白衣を着たスタッフの方々がせわしなく行き交う光景に違和感を覚えてしまう。
けれどそれこそが、この建築の竣工当時からの変わらない日常なのだろう。

2階ホール。奥にロビーが見える

ロビー内部。現在は改修工事期間中の臨時チャペルとして使用されている
現在は改修工事中で入ることのできないチャペルも、毎週の礼拝以外にも「折々で使用される」そうだ。
新入職員への研修の一環としてトイスラーや聖路加の歴史についての講義が行われたり、病院に関する各種式典の会場として利用されている。
また大学の儀式の場(入学式や卒業式)としても重要な役割を担っている。
朝夕2回鳴らされるチャイムは今も健在で、「さわやかな響きが気に入っています」と小室さん。
「これだけのチャペルが職場にあって、いつでも自由に入ることができる。それは精神的な拠り所になっていると思います」というのは入社2年目の広報担当・阪本さん。スタッフや患者の方々にとってのチャペルの存在感を実感しているそうだ。
チャペルはいまでも聖路加の精神的存在として機能し続けている。
チャペルのステンドグラスは偶像的なものではなく、幾何学的なデザイン。チャペルやホール以外の部分も、用途を変えて、そのまま使われ続けている。
それはスタッフの更衣室や、腎センターや緩和ケアなど大規模な医療機器が必要ない診療スペースなど。さらに、かつて大人数の患者(12床)を収容していた「ナイチンゲール病棟」は研修室として――。
新耐震基準に対応するために開口部を減らして壁面積を増やしたり、病室部分を避難階段に変更するなど、現在の用途・法基準に対応するために行われた変更は数多い。

研修室に生まれ変わった旧ナイチンゲール病棟

左手前側の窓は耐震壁に、右側の旧病室は階段室へと生まれ変わった。雨樋は当時のまま
一方で、当初の姿を少しでも残そうとする工夫も見られる。
上層階の床パターンは、素材は違えど当時のデザインを復元しており、また新しく生まれ変わった白く明るい壁面にも、一部当時の壁材が残されている。
保存工事の際の調査でオリジナルの外壁の色が判明し、旧館外壁を塗り直すと同時に、新病院の外壁も同じ色に統一されている。さまざまな保存継承のバリエーションを見ることのできる、稀有な例ではないだろうか。

5階ホール。床面はパターンを踏襲し張り替えられた。部分的に当時の照明器具やステンドグラス、壁面部材が活用されている

旧館から見た新病院棟。右下に見えるのが移築されたトイスラー記念館

トイスラー記念館内部。一度解体され、20年前に再建された(非公開)
館内を歩き回りながら、なるほどそうか、と先程来の疑問に対する答えを見出した気がした。
この旧館は、「残された」のではなく「生かされた」のだ。
重要な建築作品の保存、という観点で言えば、できる限りオリジナルの状態を残すほうが文化的価値は高まる。
しかし、本来の配置計画を踏襲し、生きた建築の一部として建ち続けていることで、当時と変わらぬ象徴性をチャペルが保持できているのだと思った。
チャペルの建設にあたっては、トイスラーはアメリカ本土の各地で講演活動を行い、寄付金を募った。
日本国内でも大隈重信、新渡戸稲造ら錚々たる面々がトイスラーの「真に国際的な病院建設」に協力した記録が残っている。
東京大空襲の際、爆撃対象から外されたことも、トイスラーの熱意と無関係ではないだろう。
戦時中、旧日本軍からの要請により十字架を撤去し、手すりをはじめ多数の供出を行ったこと、終戦後もGHQにより接収され米軍の医療施設として使用されていたことなど、建物にまつわるエピソードは数え切れない。
この建築が生き続ける限り、生き字引として建物がもつ歴史を伝えてくれるはずだ。
小室さんが「後輩のために」と言い切った、目先の利益を追わず長期的な視座をもつ病院の姿勢は、このチャペルとともに培われてきたものなのかもしれない。

1階ロビー。右手奥にホールが見える。左右の診療室やスタッフルームは刷新されたが、床面の石張りは当時のもの
最後に、もしレーモンドの案で建てられていたらどうなっていたと思うか、小室さんに聞いてみた。
もしそうなっていれば、日本で最初期のインターナショナル・スタイルとして、建築史的にはもっと高い評価を受けていた可能性もあるが……。
小室さんは微笑みながら、静かにこう言った。
「インターナショナル、というと聞こえは良いですが、極端に言えば同じ設計でどこに建てても良いという話になってしまいますからね。ここに建築をつくるのであれば、長く続く伝統や習慣を無視することなく、地元の材料でつくれるものをつくる、というのが当然なのではないでしょうか」
装飾的要素を排除するインターナショナル・スタイルの建築が実現していれば、建築が纏う雰囲気もまったく違ったものになっていただろう。
しかし、築地の地で長い歴史を育んできたからこそ、「どこに建てても同じ」建築は受け入れられなかった。
その場所に相応しい建築とはどのようなものなのか、設計者だけでなく事業に関わる人びとが真剣に考え取り組んだ結果、いまも使う人々に愛される建築を生み出したのだ。
この先時代の変化に応じ、再び解体の議論が持ち上ることもあるだろう。
完璧な保存でなくとも、どのようなかたちであれ、生きた建築として長く建ち続けてほしい――。そう思わされる名建築だった。
ロンロ・ボナペティの「名建築の横顔~人と建築と」【公開記事リスト】

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