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ロンロ・ボナペティの「名建築の横顔~人と建築と」【9】村野藤吾のルーテル学院大学

ロンロ・ボナペティの「名建築の横顔~人と建築と」【9】村野藤吾のルーテル学院大学

「あの名建築」は、いま、どのように使われているのだろうか?

竣工当時も高く評価され、いま現在も変わらぬ価値を維持し続けている建築を取材する本シリーズでは、建築と、それに関わる人びととの関係を探っていく。


孤高の建築家がつくった大学建築

「次は、西野。ルーテル学院大学へはこちらでお降りください」

 

武蔵境駅からのバスに揺られていると、この日の目的地がアナウンスされる。

著名な建築家による作品だが、決して観光スポットではない。

かねてから訪ねてみたいと思っていたその場所が、地域の生活に根付いていることを知る。

住宅街を進んでいくと、突然芝生に覆われた広場の先に、大地から生えてきたかのようなどっしりとした建築が立ち現れた。

ルーテル学院大学(旧日本ルーテル神学大学)外観全景

ルーテル学院大学前庭。敷地は住宅街に囲まれている

 

考えてみれば、建築を見に行くとは不思議な行為だ。

これまでたくさんの建築を、建築家の設計した「作品」として鑑賞するために訪れてきた。

そのたびに、身を包む空間の素晴らしさに圧倒され、訪問者を楽しませてくれる建築家の演出の数々に触れ、それを実現するアイディアの豊かさに感嘆する。

アイディアの裏には無限とも思える選択肢のなかから、「これしかない」と思わせるかたちを導き出した建築家の意思決定が隠れている。

そうして建てられた建築物は、日々そのなかで生活を営む人びとのために設計されたものだ。

まったくの部外者としてその場所を訪れ、空間を楽しみ、その魅力についてこうして文章を綴ることは、建築にとっては迷惑極まりない行為なのかもしれない。

それでも、建築を見る目を養うことは、物事の見方を変え、世界との接し方に少なからず影響を与え、日々の生活を豊かなものにしてくれるのではないか……と筆者は考えている。

 

村野藤吾(1891~1984年)は、建築史を簡潔に概観するうえで位置づけがむずかしい。けれどその独創的な空間から絶大な人気を誇った建築家のひとりだ。

総合的な知識や技術を結集して建てられる建築は、ある時代においてはあらゆる芸術の頂点に位置づけられ、またある時代には芸術性の純粋さを欠く場合があるとの理由で、他の芸術に劣るとされることもあった。

時代の思想や社会の動きと不可分に歩んできたのが、建築という芸術ジャンルなのだ。

したがって、建築の歴史を振り返るとき、より強調されるのは社会が抱えていた課題に対する提言を孕む実践となり、社会の動きを意識しながら建築史を追っていくと、建築史上重要とされる作品の「重要たるゆえん」が見えてくる。

一方で、歴史的に重要な建築が必ずしも広く受け入れられるわけでもなく、また建築家個人の人気に直結するわけでもない。

そのギャップがまた、建築文化の豊かさを象徴しているようにも思う。

 

1969年に竣工したルーテル学院大学(旧日本ルーテル神学大学、1996年に名称変更)は、西日本に力作が揃う村野の、東京における代表作のひとつだ。建築界の潮流と距離を取った建築家は、何に依って建築を設計するのか。

その問いを胸に、キャンパス内を見学させていただく。

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WRITER
ロンロ・ ボナペティ
ロンロ・ ボナペティ
「専門知識がなくても楽しめるように建築の魅力を伝える」がモットーの建築ライター・編集者(と名乗る黄色い鉛筆)。大学院の建築コースを修了後、建築系のコンテンツ制作に携わる。国内外の都市や建築を巡って得た気づきをコンテンツプラットフォームのnote(https://note.mu/ronro)で発信中。
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