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ロンロ・ボナペティの「名建築の横顔~人と建築と」【9】村野藤吾のルーテル学院大学

ロンロ・ボナペティの「名建築の横顔~人と建築と」【9】村野藤吾のルーテル学院大学

「クライアントの想い」を汲んだ村野の想い

世界ルーテル連盟世界伝道部門総幹事であったE.A.ソビックは、みずからもアメリカで建築設計事務所の運営をしており、教会建築に対する造詣も深く、本校建設に際して来日し「神の民の家」と題された講演を行った。

新しく建てられる日本ルーテル学院大学の設計を村野藤吾が担うことが決まり、これから基本設計に入ろうかというタイミングだった。

そのなかでソビックは、教会建築の歴史や建築本来のあるべき姿などに触れつつ、この学生寮と礼拝堂を備えた神学校にふさわしい建築のあり方を説いている。

筆者はこの取材で実際に空間を体験し、村野が忠実にその理念に則って設計していたのに驚いた。

礼拝堂へと向かうアプローチにも坪庭が設けられている。華やかに演出するのではなく、生活と地続きに礼拝堂が意識されている

ここに細かくその合致点を挙げることは避けるが、その主旨は「神の民の家」という言葉に現れている。

ソビックは中世ヨーロッパで盛んに建てられたゴシックの大聖堂のような壮麗な「神の家」を否定し、神はある特定の場所に降臨するのではなく、「この世界全体が神の家である」と言った。

したがって神学校においても、礼拝堂を特別な「聖なる空間」とする演出は避けた。礼拝堂も食堂も講義室も寮も、それぞれ機能は違えど、同様な扱いが望ましい。

さらに、教会は特定の様式を持つものではなく、「それが建てられる国や風土、使用される材料によってその都度ふさわしいものを探求しなくてはならない」としたうえで、ソビックは日本においては茶室や桂離宮といったヒエラルキーのない空間性に、理想的な祈りの空間を見出していた。

教会と言えばヨーロッパのゴシック教会を思い浮かべるわれわれ日本人にとっては、意外な視点ではないだろうか。

 

この前提を踏まえると、小規模ながらも全体がひとつの空間として整えられ、平面計画に明確な中心をもたない建築の構成は、ソビックが提示した(つまり村野にとってはクライアント側からもたらされた)理論に基づいていることが分かる。

のちの増築が既存建築との齟齬を生まなかったのも、元の建築がこのような性格をもっていたからだろう。

村野は「教会、あるいは大学とはこうあるべき」というみずからの提言を掲げるのではなく、外からもたらされた理論的骨格のうえに建築を建ち上げることによって、この傑作を生み出したのである。

礼拝堂の空間自体も、祭壇をことさら崇め奉る構成にはせず、多様な場を用意しつつ中心を設けない設計になっている。これもソビックの提言に沿った村野の回答のひとつ

村野は独立前の修行時代、所属していた渡辺事務所において、世間に受け入れられる「売れる図面」作成を徹底して鍛えられた。

当時の建築界においてはモダニズム建築が隆盛だったが、彼は大阪の好景気による需要から、様式建築を数多く手がけている。

村野自身は、建築の進むべき道は様式建築ではないと強く感じながらも、「売れる」建築を設計する葛藤に悩まされていた。

その苦悶から、独立後は「売れる」ことを前提にしつつ、みずからの信条に違わない建築を追求し続けたそうだ。

 

苦心の末にたどり着いた境地で生み出された名建築。実際に現地に赴くことは、建築家の長い格闘の履歴を、早送りで追体験するようなものなのかもしれない。

なんとも贅沢な時間を過ごさせていただいた――そう実感した取材だった。

編集部注:同取材は2019年秋におこなわれました

 
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ロンロ・ ボナペティ
ロンロ・ ボナペティ
「専門知識がなくても楽しめるように建築の魅力を伝える」がモットーの建築ライター・編集者(と名乗る黄色い鉛筆)。大学院の建築コースを修了後、建築系のコンテンツ制作に携わる。国内外の都市や建築を巡って得た気づきをコンテンツプラットフォームのnote(https://note.mu/ronro)で発信中。
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