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首都高研究家・清水草一の「高速道路」道!【04】キミは共産圏高速道路の凄さを知っているか?

首都高研究家・清水草一の「高速道路」道!【04】キミは共産圏高速道路の凄さを知っているか?

東ドイツのアウトバーンに小田厚・二宮ICを想う

これまで3回にわたって、首都高の魅力を切々と訴えてきた首都高研究家の私だが、首都高だけでなく、高速道路全般の専門家もやっていて、日本だけでなく、海外18か国の高速道路を、自らの運転で走ったこともある。

せっかくなので国名を挙げてみると、ドイツ、旧東ドイツ、ベルギー、オランダ、フランス、イギリス、スペイン、スイス、オーストリア、イタリア、クロアチア、スロベニア、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、アメリカ、メキシコ、韓国となる。

この中で最もユニークだと感じたのは、旧東ドイツだ。ベルリンの壁が崩壊し、旧東ドイツが西ドイツと統合される寸前の1990年春、東西ドイツ一周のドライブ取材に行くことができた。

アウトバーンと言えば、世界で唯一、速度無制限区間を持つ(総延長の半分強。その他は制限速度アリ)、世界中のクルマ好きにとって憧れの高速道路。第二次大戦前にヒトラーが建設を始めたので、当然東ドイツ側にもあったわけだが、東ドイツに入ると、設計がものすごく古めかしくなった。

アウトバーンは元来の地形や風景を壊さないよう配慮されている(2009年頃、著者撮影)。

具体的には、まずインターチェンジの合流・分流部が非常に短かった。小田原厚木道路の二宮インターのような感じだ。つまり小田原厚木道路の設計が、超時代遅れなわけですが。

また、上下車線の間の中央分離帯側にはガードレールがなく、唐突に植樹帯が広がっている区間も多かった。ガードレールなしで、奥に立木が生えているので、そこにクルマが突っ込むと、大きなダメージを受けてしまう。古い写真を見ると、もともとのアウトバーンにはガードレールは一切ないので、その名残だったらしい。

ヒトラーに抜擢され、アウトバーン建設を指揮したフリッツ・トート建設総監は、風景と調和した美しい建造物を目指した。造園家も積極的に参加させ、周囲の景色に溶け込む、庭園のような高速道路を造ったのである。旧東ドイツのアウトバーンには、そのオリジナルの形が色濃く残っていた。

ただ、当時の東ドイツの国産車は、ボール紙繊維などを樹脂で固めたボディを持つ「トラバント」に代表される低性能車ばかりで、そこに西側からどっと高性能車が流入を初めていたので、あまりの性能差により事故が頻発。中央分離帯部の林に突っ込むクルマも続出していた。

トラバントは34年ものあいだ、モデルチェンジされずに生産された旧東ドイツの国民車だ。

トラバントのようなペナペナなクルマが、高速で立木にぶつかったらどうなるか、考えただけで恐ろしい。まぁ「高速」と言っても、80km/h巡行が限度だったようだが。

この時の取材では、工場内で生産されたばかりのトラバントに試乗することができたが、すでにエンジン等がフォルクスワーゲン製になっていて、加速はそれほど悪くなかった。ハンドルやシフトなどの操作系および、ボディ、足回りなどは超頼りなかったが……。

あれ以来、旧東ドイツ側のアウトバーンを走ったことはないが、現在は当然、西側基準で造り直されているだろう。我ながら貴重な経験をしたものだ。

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WRITER
清水 草一
清水 草一
1962年東京生まれ。慶応義塾大学卒業後、編集者を経てフリーライター。代表作『そのフェラーリください!!』をはじめとするお笑いフェラーリ文学のほか、『首都高はなぜ渋滞するのか!?』『浜崎橋はなぜ渋滞するのか?』などの著作で首都高研究家・交通ジャーナリストとしても活動中。『週刊SPA!』など連載多数。日本文芸家協会会員。
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