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清水草一の「高速道路」道!【11】世界に冠たる「しょぼいジャンクション」

清水草一の「高速道路」道!【11】世界に冠たる「しょぼいジャンクション」

パリと真逆の魅力がある街、東京

渋谷のスクランブル交差点に、外国人観光客がわざわざ来るようになったのは、いつごろのことからか。

1日に数十万人が行きかう渋谷スクランブル交差点(写真/Adobe Stock)

ウィキペディアによると、「この交差点が海外へ広く知られるようになったきっかけは、ソフィア・コッポラが監督した2003年の映画『ロスト・イン・トランスレーション』のロケ地のひとつとなったこと」とある。うーん、そうなのか。ウィキペディアはなんでも教えてくれるなぁ。

私がスクランブル交差点の外国人観光客に気づいたのは、10年ちょっと前のような気がする。京王井の頭線沿線の永福町に住んでいるため、井の頭線を渋谷駅で降り、山手線方向に空中廊下(って言うのか?)を渡るのだが、そこに外国人が張り付いている姿を見かけるようになったのが、確かそのころからだった。

最初私は、「何をしてるんだろう」としか思わなかった。まさかスクランブル交差点を眺めているなんて、考えもしなかった。だって、特におもしろくもない、ただの駅前交差点だから。

現在ではここは、ニューヨークのタイムズスクエアと並んで、世界で最も有名な交差点らしいけど、いまだに信じられない。日本人目線では、自国の魅力がわからないことは多々あるようだ。

私は、日本の都市景観に強いコンプレックスを持ってきた。大学生の時、初めてヨーロッパを旅して、行く先々がすべておとぎの国に思え、東京を含む日本の都市景観がいかに貧しいかを思い知らされたのだ。

イタリアの街、たとえばフィレンツェなどは、中世そのままなので比較しようとも思わないが、最大の衝撃はパリだった。ナポレオン三世が着手した都市改造計画によって、大規模な街路の新設・拡幅が実行され、シャンゼリゼ通りやエトワール広場などを含む現在のパリが完成したのだが、若かりし私にはパリのすべてがまぶしかった。夕方散歩していて、セーヌ川越しに逆光に輝くエッフェル塔がどーんと見えたときは、あまりの美しさに真剣に呆然とした。

パリの美しさには溜息が出る(写真/Adobe Stock)

ヒトラーもパリには強いコンプレックスを抱き、ベルリンをそれ以上の都市にしようと、「世界首都ゲルマニア」計画を進めていたが、私がヨーロッパから東京に戻ってまず思ったのは、「電柱をなんとかしなきゃいけない」ということだった。我ながらスケールの小ささに涙が出ます。

が、日本は街路幅が狭すぎるため、それすら不可能な場所が大部分。以来私は、電柱についてかなり深い考察を重ねているが、今回は割愛する。

で、結論は、「東京がパリになるのは死んでも不可能!!」ということだった。東京の魅力は、パリとは真逆の方向性にしかない。それはアジア的カオスの部分ではないか? それでも、渋谷スクランブル交差点の魅力はサッパリ見抜けませんでした。

東京でも、パリみたいな都市改造計画が立案されたことが、過去2度あった。関東大震災後と、太平洋戦争後だ。関東大震災の際は、予算不足により規模が数分の一に縮小されはしたが、後藤新平のリーダーシップでそれなりに実行された。しかし太平洋戦争後は、なにしろ敗戦国なのでさらにぜんぜん予算がなかったし、「住む家もない者が多数いるのに、そんなことにカネを使えるか」ってことで、結局ほとんど何もできなかった。

で、前回の東京オリンピックを前にして、短期間で実現可能な応急対策として建設されたのが、首都高というわけだ。

パリの都市改造は1853年から1870年、ナポレオン三世の時代が中心だが、それ以後も延々と継続され、完成したのは20世紀になってから。つまり数十年間にわたる大事業だった。

対する首都高は、具体的な計画が決定してからオリンピックまでわずか5年。まさにアジア的付け焼刃! パリとは真逆の個性だ。都市高速という発想自体も世界初だった。そこから、「首都高を世界遺産に!」という、私の主張が誕生したのである。

“付け焼刃感”こそが東京の首都高の魅力なのだ!(写真/PIXTA)

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WRITER
清水 草一
清水 草一
1962年東京生まれ。慶応義塾大学卒業後、編集者を経てフリーライター。代表作『そのフェラーリください!!』をはじめとするお笑いフェラーリ文学のほか、『首都高はなぜ渋滞するのか!?』『浜崎橋はなぜ渋滞するのか?』などの著作で首都高研究家・交通ジャーナリストとしても活動中。『週刊SPA!』など連載多数。日本文芸家協会会員。
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