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首都高研究家・清水草一の「高速道路」道!【13】釜石でラグビーと高速道路に感動した!

首都高研究家・清水草一の「高速道路」道!【13】釜石でラグビーと高速道路に感動した!

30年ぶりに盛り上がっているラグビー

ラグビーワールドカップが、とんでもなく盛り上がっている。私も約30年ぶりにラグビーに熱中しているが、日本代表の熱い戦いぶりには涙が出る。

こんなラグビーの盛り上がりは80年代以来だ(写真/Adobe Stock)

それにしてもこの30年間で、ラグビーの戦術や技術はずいぶん変わったらしい。タックルされて態勢を崩されながら出すオフロードパスなんて、昔はなかったと思うのだが……。久しぶりに見るラグビーは、技術的にも新しい刺激に満ちていた。

30年以上前の80年代も、ラグビーが盛り上がっていた。全国高校ラグビーには、『スクール・ウォーズ』を生んだドラマがあったし、ユーミンも『ノーサイド』を歌った。早明戦を中心とした大学ラグビーも大いに注目されていた。

私は当時週刊誌の記者だったので、大学ラグビーを何度か取材したが、当時ラグビーには、古風で男臭いのにどこか貴族的な、とてもファッショナブルな空気感があった。

そのいい空気感が吹き飛んだのは、ほかならずラグビーワールドカップが原因だったと思っている。87年から始まったワールドカップで、日本代表は負け続けた。95年の対ニュージーランド戦では、145対17という歴史的大敗を喫した。

ここまで弱いと、『スクール・ウォーズ』や『ノーサイド』のロマンも、コップの中の嵐というイメージになってしまう。その頃から私は、ラグビーを見なくなりました……。

で、日本代表が勝ち始めると途端に熱狂するんだから、大衆とは気まぐれなものです。本当にスミマセン。

高速道路も30年の歳月を経て涙の完成

ところで、高速道路の話でなぜラグビーかというと、岩手県釜石市の話を書きたかったからだ。

釜石市といえば新日鉄釜石。78年から84年にかけてラグビー日本選手権7連覇を達成し、第一次ラグビーブームの中心にいた。

その後、89年に新日鉄釜石製鉄所の高炉が停止し、新日鉄釜石ラグビー部も徐々に弱体化。現在はラグビートップリーグの下部に属する釜石シーウェイブスRFCとなっているが、「ラグビーの町・釜石」のイメージは、我々の世代には強烈だ。

ということで、東日本大震災からの復興の象徴ということもあり、12会場のひとつに釜石が選定され、釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアムが新設されたのでした。

そして、ワールドカップ開催に間に合わせるという意志があったのかどうか、釜石までの高速道路も、今年の3月から6月にかけて続々と開通した。

東北道の花巻ジャンクションから分岐する釜石道は、今年3月9日に全線開通。しかも、既存の東和インターから釜石まで、新直轄方式によって全額税金で建設されたため、料金は無料だ。

三陸海岸沿いに、南は仙台から北は八戸までをつなぐ三陸道も、この6月、ごく一部の区間を除いて、仙台から宮古までが開通した。こちらも、仙台寄りの一部を除いて料金無料となっている。

東北横断自動車道釜石秋田線(国土交通省東北地方整備局Webサイトより)

かつて三陸沿岸は、鉄道でも道路でも、アクセスが猛烈に不便な地域だったが、これで仙台や盛岡から、クルマでなら非常にお安く、かつ比較的短時間で行けるようになった。これは、この地域にとって革命と言っても過言ではないだろう。

三陸道や釜石道の建設計画は、87年(奇しくも第1回ラグビーワールドカップ開催年)に決定していたが、有料道路としての採算性は絶望的につき、税金によって少しずつ、文字通りの牛歩で建設が進められていた。

その状況を一変させたのが、11年の東日本大震災だ。両道路は復興道路および復興支援道路に指定され、国が別枠での建設を推進。わずか7年で約400キロもの区間が開通に至った。震災以前は、私が生きているうちに三陸道の全通など不可能だろうと思っていたが、国交省によると、来年度末までには550キロ全線が開通できる見通しだという。

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WRITER
清水 草一
清水 草一
1962年東京生まれ。慶応義塾大学卒業後、編集者を経てフリーライター。代表作『そのフェラーリください!!』をはじめとするお笑いフェラーリ文学のほか、『首都高はなぜ渋滞するのか!?』『浜崎橋はなぜ渋滞するのか?』などの著作で首都高研究家・交通ジャーナリストとしても活動中。『週刊SPA!』など連載多数。日本文芸家協会会員。
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