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文筆家・ワクサカソウヘイの「たてものはいきものだとおもうもの」【1】家の鳴き声に包まれて眠りたい

文筆家・ワクサカソウヘイの「たてものはいきものだとおもうもの」【1】家の鳴き声に包まれて眠りたい

「建設の匠」ならぬ「建設の素人」にだって、建築を愛でる権利はあるはず。建築物にまつわるアレコレを文筆家・ワクサカソウヘイが五感で味わい、綴ります。

タイトルイラスト/死後くん

 


#1 家の鳴き声に包まれて眠りたい

若い頃、やんごとなき理由から野宿をするはめになった夜がままあった。

それはたとえば、酒を飲んで終電を逃し、財布の中を見れば三十円と耳鼻科の診察券しか入っていなかった夏の丑三つ時。始発の電車が動き出すまで野宿でやり過ごそうとすみやかに判断し、手近の広い公園へと移動、花壇の脇の地面に身を丸めて目を閉じた。あとは夜明けまで気を失っておくだけなのだが、しかし眠りの尻尾を上手くつかむことができない。

野宿の経験が一度でもある人には共感してもらえると思うのだが、「建物に包まれていない」という状況下での就寝は、ヒリヒリするような不安と対峙せざるを得ないのだ。自分を守ってくれているパートナーを失ってしまったような深い喪失感に襲われながら、私は砂利の上で小一時間ほど身じろいでいた。眠りは依然として訪れる気配がなく、遠くからの道路工事の音だけが無機質に響いている。

これはちょっとどうにもならないな、と思い始めたその時、環境変化が起きた。蝉たちが、かすかに鳴きだしたのである。夏の日中におなじみの「ミーン!ミーン!」という耳にうるさいものではなく、夜闇の中、これからの本番にそなえて楽器をチューニングするような「ジジジ……」という淡い音色の鳴き声だ。

すると、不思議なことに。

その蝉たちのチューニング音を聴いているうち、なぜだか突然この身に、言い知れぬ安堵感が押し寄せてきたではないか。そして私は、そのまま眠りに落ちることに成功した。

 

眠りと音は、どうやら重要な関係性を結んでいるらしい。

 

とある友人と温泉旅館に出かけた時のことだ。

部屋に敷かれた布団の上で酒を飲みつつ、私たちは男ふたり、色気のない時間を過ごしていた。場もだらけ、夜も深まり、じゃあそろそろ寝るか、と私は電気を消した。

すると友人は、おもむろにTVを点けだした。

私は面食らった。なぜこのタイミングでTVを点けるのだ。もう就寝の時間だぞ。ところが彼はこう言うのである。「オレはTVを点けていないと眠れないんだ、ボリュームも下げないでくれ」。

私は困った。言うまでもなく、TVというのは音の連続である。「グレコサミンの効能に驚く観客席の声」や「東京フレンドパークで関口宏が吹くホイッスルの音」や「場が白けた時に、たけしが隣の所ジョージの頭をピコピコハンマーで叩く音」などがとめどなく流れ続ける中で、どうやって眠ればいいのだ。

しかし、彼にとってはそのTVの音こそが子守唄なのだという。

私は渋々、テレビを点けっぱなしにして寝ることを了承し、部屋の電気を消した。TVからの嬌声やクイズの正解音、拍手や司会者のコールなどが部屋に響く。「これは、朝まで眠れないかもな……」と私は布団の中でため息をひとつ吐いた。

ところが。

気がつけば、私は深い眠りの中にいた。「あれ?TVの音を聴きながら眠るのも、意外と悪くないぞ……?」と思ったところまではおぼえている。予想外の安心感に包まれて、私は夢へと誘われていたようだ。

 

野宿の蝉の音も、旅館のTVの音も、つまり「生きている者が近くにいる」という実感をその時の私に与えてくれたのだと思う。

眠りとは自身を完全無防備な状態に置くという、ある意味でデンジャラスな行為。だから自分の代わりに起きていてくれている者の気配が近くにあると、知らず知らずのうちに緊張がほどけ、おだやかな眠りに突入することができるのだろう。

 

この「生きている者が近くにいる」という実感を、自宅でTVなどの力を借りずに、自然に得ることはできないだろうか、と模索していた時期がある。その頃、私は軽い不眠症を抱えていて、安らかに寝つけぬ夜が続いていたのだ。

ペットとして猫を飼ってはいたのだが、どうにも頼りない。私が布団に入ると、猫はその上に乗ってきて、一緒になって寝息を立てる。ちがう、起きていてほしいのだ。誰か、私のために起きていてはくれないか。

ある日の深夜、やはり寝つけていなかった私は、台所でカップ焼きそばに湯を注いでいた。胃袋でも満たせば眠気がくるかも、と思ったのである。三分経ち、熱湯を切ったその時、「ボコン」とシンクがおなじみの音を上げた。油断していたため、軽くではあるがビクッとする。するとそのタイミングでこんどはうしろにある冷蔵庫の製氷機から「ガラガラガラッ」という音が響いてきて、またしても薄く動揺する。「わあ、ゾンビだ!そこにいる人、助けてください!……うわあ、この人もゾンビだった!」ってやつの、スケールの小さい版である。

カップ焼きそばを腹におさめて、布団に横たわる。耳を澄ませていると、古い木造の我が家は「ミシッ……」と骨を軋ませるような音を立てている。

(夜の家って、静かに活動しているよな……)

その時、ハッと閃いた。そうだ、家そのものをペットだと思ってみるのはどうだろう。「ボコン」も「ガラガラガラッ」も「ミシッ……」も、鳴き声だと思って聞くのはどうだろう。

「ギギ……」、「カタカタカタ……」、「ピチャン……」。もう一度耳を澄ませてみると、そこにはかすかにではあるが、家の鳴き声が広がっていた。

この日から、私は熟睡を取り戻すことができるようになった。「家は自分の代わりに起きてくれている生き物」という観念を手に入れたことで、安心して眠ることができるようになったのだ。

不眠で悩まされている人は、ぜひこのメソッドを試してほしい。自宅から発生する音を「鳴き声」だと捉えることで、家に包まれている時の安心感はアップデートされる。自宅はペットなのだと認識することで、大きなパートナーに守られているような安堵を得ることが、きっとできるはずだ。

 

建物について書こうと思ったら、C級メンタル相談室みたいな終わり方になって、自分でも驚いている。

 

WRITER
ワクサカソウヘイ
ワクサカソウヘイ
1983年生まれ。文筆業。ルポ、コラム、コント台本などを執筆。主な著書に『夜の墓場で反省会』『ふざける力』『今日もひとり、ディズニーランドで』など。最新刊は『ヤバイ鳥』(エイ出版社)。
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