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文筆家・ワクサカソウヘイの「たてものはいきものだとおもうもの」【3】ピロティは本当にあったんだ

文筆家・ワクサカソウヘイの「たてものはいきものだとおもうもの」【3】ピロティは本当にあったんだ

「建設の匠」ならぬ「建設の素人」にだって、建築を愛でる権利はあるはず。建築物にまつわるアレコレを文筆家・ワクサカソウヘイが五感で味わい、綴ります。今回のテーマは「ピロティ」です。……本当は「ピロティ」のことよく分かってない人、顔を伏せたまま手を挙げてください。

タイトルイラスト/死後くん

 

#3 ピロティは本当にあったんだ

平成の時代は約30年続いたわけだが、どうにもいま、釈然としない想いでいる。

というのも、平成の間に答えを出せずじまいだった案件が、私の胸の中にはいくつも残滓として漂っているからだ。

それはたとえば、「イチゴを牛乳と一緒に潰して食べるのって、あれは正解だったのか」という問いであったりする。

私がまだ幼い頃、昭和の終わりから平成の頭あたりでは、デザートなどでイチゴが与えられると、それをなんの疑いもなく牛乳へと沈め、そしてすみやかにコンデンスミルクや砂糖を加えたのち、スプーンの裏でぐっちゃぐちゃに潰して食べていた。たしか、イチゴを潰す専用の、底が平らのスプーンもあったはずだ。

いや、たしかに潰したイチゴのそれは美味しかった。ただ、いま思い返すに、それは牛乳やらコンデンスミルクやらスプーンやらの大いなるアシストがあったからだという気がしてならない。あのやり方ではイチゴが持っている本来のポテンシャルは味わえてはいないし、そもそも出会って3秒で原型をとどめないほどにまでマッシュするなんて、ちょっと猟奇的な行為のようにも思える。

あの名前も付いていない正体不明の食べ方のことを考え出すと、問いが次々と湧き出てくる。実はすごくもったいないことをしていたんじゃないのか、とか、大人はどうしてあれを許していたんだ、とか。普段の食事の時は行儀についてうるさかった親も、イチゴに関しては狂ったように潰していたわけで。なんであそこだけは、治外法権だったのだ。

でも、誰も答えを教えてくれないままで、気づけば誰もイチゴを潰すことはなくなった。あの専用スプーンも、平成が終わる頃には、その姿を消してしまった。

 

残滓は、他にもある。

それはたとえば、「上野で土鳩にまみれている人は、結局なにがしたかったんだ」という問いであったりする。

子どもの頃、上野動物園に行くと入場門の前あたりのベンチで、初老のおじさんなどが土鳩たちにパンくずを与えている様子が、必ず見られた。

ベンチの周囲には次から次へとエサを求めて土鳩たちが集まってくるわけだが、そうしているうちに彼らはおじさんの肩や膝などに乗り始め、最終的には「土鳩のウッドストック・フェスティバル」みたいな狂乱が始まり、人と鳥との境界線は決壊、おじさんは土鳩にまみれて姿が見えなくなってしまう。子ども心に「こんなにも不衛生な景色は見たことがない……」と思ったものである。

あのおじさんたちは、いったい、なにが楽しくてあんなことをしていたのだろう。そこには土鳩をまみれさせた者にしか分からぬ、快感のようなものがあったのだろうか。それとも、偏った動物愛護精神によるものだったのか。でも、生き物が好きなのだったら、すぐ目の前にある動物園に行ったほうが、色々と満たされるような気もするが。

謎ばかりの土鳩おじさんであったが、彼らの姿もまた、平成が終わる頃には上野で見かけることはできなくなった。いや、場所を変えて、どこかでまだやっているのかもしれないけれど。

 

「光る泥団子ブームってあったけど、あれってどこで流行っていたのか」

「バーバモジャって、結局、どうしてあんな形態なんだ」

「黒柳徹子って、AIBOを飼っていた気がするけど、その後どうした」

他にも平成はたくさんの残滓を浮かべたままだが、その中で最も私をモヤモヤとさせているもの。それは、

「ピロティっていうのは、つまるところ、どの空間のことを指すのか」

という問題である。

 

「ピロティ」。

これほどまでに愛らしい響きを、私は他に知らない。

「岩綿吸音板」だとか、「連結送水管」だとか、「不動産登記簿」だとか、「含水率」だとか、なんだか脂っこくて無愛想なものばかりの建築用語の群れの中において、「ピロティ」の語感の、なんと人懐っこいことよ。ピロティは、建築界のコツメカワウソだ。

しかしピロティの語感の可愛さを知っている私は、ピロティの正体そのものについては、全くもってなにも知らないのである。これはいったい、どういうことなのだ。

 

平成の半ば、高校一年生の時。

たしか生物の授業とかで葉っぱを使った実験をやることになり、教師から「じゃあ、このあと採取をしに行くので、玄関前のピロティに集合してください」と告げられたのが、初めてピロティの存在を知った瞬間だった。

「はーい」と生返事をし、ゾロゾロと移動したものの、誰一人として「ここがピロティだ!」と自信を持って指し示す者はおらず、なんとなく漂う感じで、それぞれが玄関前の思い思いの場所に立ったことをおぼえている。

教師からは「おい、お前たちがいる場所は、ピロティじゃないぞ」とも、「よくやった、そこがピロティだ」とも言われなかったので、結局どこがピロティとして正解だったのか、うやむやのままに葉っぱの採取へと時は移った。

 

そういえば、これは私が20歳になった頃の話だが、かつての同級生がバンドを結成したとかで、その演奏を聴きにライブハウスへ足を運んだ。そのバンド名が『ピロティ』であった。

打ち上げの席に呼ばれた私はそこで、彼らに質問を投げた。

「ピロティって、どういう空間のことなのかな?」

すると彼らは目を見合わせ、少し黙ったのちに、こう答えた。

「さあ、知らない」

知りもしないものをバンド名なんかにするな、とは思ったが、言葉にはしないでおいた。でも、彼らの気持ちも分からなくはない。ピロティの響きと存在性は、正体が分からずとも手を伸ばしてしまいたくなる、奇妙な魅力を纏っているのである。

関係ないが、そのバンドはそれから数年活動したのち、平成の後半の中途半端なタイミングで解散した。

 

それからも何度となく「ピロティ」という言葉に触れる機会はあったのだが、それがどこのどのような空間のことを指しているのか、はっきりとした実像をつかむことはできず、そうしているうちに気づけば平成の終わりへとたどりついてしまった。

 

「ピロティ」をウィキペディアで調べると、そこには、

「二階以上の建物において地上部分が柱(構造体)を残して外部空間とした建築形式、またはその構造体を指す」

とある。

まったくもって、なにを言っているのか、よく分からない。これではますます、ピロティの謎は深まっていくばかりだ。

先日には、「建築家のル・コルビジェはピロティの使い方が上手い」という噂を聞き、彼が手がけた国立西洋美術館を上野まで訪れたりもしたが、いったいどこの空間部分が「ピロティ」なのかはやっぱり分からず、また建築に対する審美眼も持っていないため、噂の真相を確かめることもできないまま、すごすごと退散したのである。

これはナイスなピロティ(どこかは分からない)

もしかしたら、ピロティなんてこの世には存在していないのではないか。

ピロティは、平成という時代が見せた、幻だったのではないか。

「すごいぞ!ピロティは本当にあったんだ!」

いつか、そんな感じで、パズーのように叫んでみたい。それが次なる令和の時代に込めた、私のひそかな願いだ。

国立西洋美術館からの帰り道、上野の公園に土鳩おじさんの姿はなく、アメ横にイチゴを潰す用のスプーンは売られてはいなかった。

 

WRITER
ワクサカソウヘイ
ワクサカソウヘイ
1983年生まれ。文筆業。ルポ、コラム、コント台本などを執筆。主な著書に『夜の墓場で反省会』『ふざける力』『今日もひとり、ディズニーランドで』など。最新刊は『ヤバイ鳥』(エイ出版社)。
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