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文筆家・ワクサカソウヘイの「たてものはいきものだとおもうもの」【7】あの屋上でまた会おう

文筆家・ワクサカソウヘイの「たてものはいきものだとおもうもの」【7】あの屋上でまた会おう

呼吸をしているような建物たちを、静かに興奮しながら鑑賞したい。建築物にまつわるアレコレを文筆家・ワクサカソウヘイが五感で味わい、綴ります。

今回のテーマは「屋上」。夏の夜の屋上もまた青春オブ青春。磯野ー! 見えないモノを見にいこうぜー!

タイトルイラスト/死後くん

 

#7 あの屋上でまた会おう

他人に漏らすと「信じられない」という顔をされるのだが、私はこの歳になるまでジブリ映画『天空の城ラピュタ』をきちんと最後まで観たことがなかった。

金曜ロードショーで放映されるたびに「今日こそはラストシーンまで見届けよう」と決意してTVの前に座るのだが、シータとパズーが低気圧の雲である「竜の巣」をくぐり抜けていくところでCMが挟まると、そこで毎回眠気に襲われて断念してしまうのである。

「竜の巣」を越えれば、そこには天空の城であるラピュタが現れる。それは人づてに聞いているから知ってはいるが、しかしこの目でそれを確認したことはない。つまり私はずっと「ラピュタは本当にあったんだ!」となったことが、なかったのである。

いつまでもこのままではいけない。ラピュタを幻の状態としたまま、この生涯を閉じてはいけない。私は襟を正して、このたびDVDをレンタルし、『天空の城ラピュタ』を最後まで鑑賞することにした。

「竜の巣」を抜けると、シータとパズーは気を失う。やがて目を覚ますと、緑が蒸し、花が咲き乱れた庭園が広がっている。水底に沈む町もある。見ればそこは、空高く、宙に浮いているではないか。

こうして私は、ようやく「ラピュタだ! ラピュタは本当にあったんだ!」となることができた。

この時、爽やかな風のようなものが首筋に流れたような気がした。この感覚、なにかに似ている。ああ、そうだ。これは建物の中に「屋上」を発見した時の感じと似ているのだ。

 

「屋上」で想起するのは、十九歳の時の思い出だ。

その頃の私は、学生時代にありがちな感じで、仲間たちと演劇を創作することに夢中になっていた。いま思えばそれは非常に稚拙な舞台作品で、とても他人様からお金を取れるような代物ではなかったのだが、そこにあるのは若さゆえの視野狭窄状態。私たちは自分たちのやっていることになにも疑問を抱かぬまま、日夜、来るべき本番の日に向けて稽古場で発声練習などを繰り返していた。

若い時代、時間だけはたっぷりあるが、しかし金はない。稽古場は、古びた公民館の三階部分にある一室を借りていた。

一日500円で借りられるそこは冷房設備が壊れており、また最寄りの駅から徒歩25分という立地だったので、夏の期間は私たち以外に誰も利用者などいなかった。トイレの中には、都内だというのに「キャンプ場か」みたいな大きなカマドウマがいたりした。管理人も詰めておらず、役所に申請すれば、あとはダイヤル式のキーを開けるだけで入ることができるという、非常に雑なセキュリティの公民館であった。

 

蒸し暑い夏、人の気配のない薄暗い部屋で、誰のためともわからない稽古を繰り返す。こうなると、煮詰まっていくのは早い。本番の日まではまだ二週間あるにもかかわらず、稽古場全体に、なんともいえない暗い雰囲気が漂い始める。練習に身が入らず、何度も台本を手放しては、小刻みに休憩を繰り返す。

だんだんと会話がなくなり、重苦しいムードに包まれていく。見れば、八人いる仲間のうち、三人が爪を噛んでいる。よくない。青春の景色として、十八点だ。

 

私はその鈍色の空気に耐えかねて、稽古場からそっと抜け出した。外の空気でも吸おうと思ったのである。

階段を降りようとして、ふと気づいた。この建物は三階建てであるはずなのに、上へと続く階段がある。もしやと思いながら上っていくと、そこに小さなガラス扉が現れた。まあ、鍵がかかっているんだろうな、と思いながらノブを押してみると、さすがはセキュリティ激甘の施設、それはいとも簡単に開かれた。

 

屋上だった。

緑色のタイルが床面に広がり、雑草が白い花をささやかに揺らしている。大きな青空がまぶしく、風が首筋を吹き抜けていく。眼下に環八通りと街とが広がり、隅田川の向こうの入道雲が爽やかだった。

「屋上だ! 屋上は本当にあったんだ!」

私は急いで階段を降り、その発見を仲間たちに伝えた。すぐさま全員、屋上へと足を運び、その小さな「天空の城」の景色を味わった。それまで我々が帯びていた疲弊感のようなものが、みるみると洗われていくのがわかった。

そして、気づけば誰かがコンビニで花火やお菓子を買ってきて、私たちは自然とそこでパーティーを始めた。まだ陽の落ちていない白い夏の日差しの中で、十九歳の若者たちはアイスクリームを片手に淡い火薬の匂いを楽しんだ。

「岩井俊二の映画なのか」みたいな、「BGMでCHARAが流れたらどうしよう」みたいな、一点の曇りもない青春の風景が、そこにはあった。

 

屋上って、特殊な空間である。

映画やドラマにおいても、重要なシーンで屋上はたびたび登場する。『桐島、部活やめるってよ』のラストシーンは高校の屋上で繰り広げられていたし、『レット・イット・ビー』ではビートルズがビルの屋上で演奏をしていた。『シン・ゴジラ』の殲滅作戦の指示も屋上からだったし、ジャッキー・チェンの出ている映画なんて屋上がなければ成立しないものばかりではないか。最近だと『天気の子』でも、屋上は主人公の男女が出会う場所として描かれている。

建物をひとつの「映画」として見立てる時、屋上はクライマックスとして機能している。閉塞の状態から、突然に無限の世界へと我々を放り出す屋上という空間は、誰もの心を揺らすエモーショナルな存在だ。

「屋上」という概念がこの世にあってよかったと、折に触れて思う。

 

そんな屋上を存分に味わいたければ、是非勧めたい場所がある。

鳥取県鳥取市だ。

私は、月の半分を東京で、そしてもう半分を鳥取で暮らすという、二拠点生活をもう五年ほど続けている。その中で気がついたことなのだが、鳥取市というのは「屋上天国」なのである。

 

鳥取市は、新幹線が走っていない。都内から陸路で訪れるのであれば、まず姫路まで行き、そこから特急に乗り換える必要がある。「竜の巣」を越えなければ辿り着けないような、やや困難な立地である。

鳥取は、人口数が一番少ないエリアとしても有名だ。鳥取市中心部を歩いても、そこにはおおむね無人の景色が広がっており、なにやら文明が朽ちたあとの古代都市のような雰囲気を感じたりする。

 

実は鳥取市中心部は、一度「リセット」された歴史を持っている。

1952年、鳥取市は大火事に覆われた。炎は当時の市街地のほとんどを焼き尽くし、木造建築のほとんどが灰となり、そこには焼け野原だけが残った。「鳥取大火」と呼ばれる、日本の近代史に残る大火災である。

そこから鳥取市は、復興を始める。もう焼けるのはごめんだとばかりに、コンクリート造りの小さくて四角いビルがいくつも建てられるようになる。現在の鳥取市の街の顔を形成しているのも、まさしくこの古ぼけたビルたちである。

 

当時の「再開発」によって建てられたこのビルたちは、押し並べてサイコロの形をしている。だから、鳥取市街の建物を巡っていると、かなりの割合で屋上と遭遇することができる。

私見だが、これほどまでに屋上が密集している場所は、鳥取市をおいてほかにはないのではないだろうか。

 

鳥取駅前にある駐車場の高いビルに上り、その頂上から街を眺める。すると、いくつもの屋上が眼下に広がる。

そこでは家庭菜園を展開している人がいて、仲間たちとミニビアガーデンを開催している人がいて、子どもたちがビニールプールを楽しんでいたりもする。

地上を歩いている時はなかなか気づけないが、鳥取市は空中にも世界が広がっているのである。

人里から隠れ、文明が一度滅び、そして空の上で静かに人々が暮らしを再び紡いでいる。

「天空の城トットリ」と、私はそれを呼んでいる。

 

屋上があって、本当によかった。

もうあの仲間たちとは会ってはいないが、いつか屋上でまた再会できたらいいな。そんな岩井俊二なことを思えるのも、屋上があるおかげである。

WRITER
ワクサカソウヘイ
ワクサカソウヘイ
1983年生まれ。文筆業。ルポ、コラム、コント台本などを執筆。主な著書に『夜の墓場で反省会』『ふざける力』『今日もひとり、ディズニーランドで』など。最新刊は『ヤバイ鳥』(エイ出版社)。
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