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ワクサカソウヘイの「たてものはいきものだとおもうもの」【9】未知なる「パーリー建築」との遭遇

ワクサカソウヘイの「たてものはいきものだとおもうもの」【9】未知なる「パーリー建築」との遭遇

呼吸をしているような建物たちを、静かに興奮しながら鑑賞したい。建築物にまつわるアレコレを文筆家・ワクサカソウヘイが五感で味わい、綴ります。

今宵はパーリーです。なんのこと? うん、編集部にも分かりません。とりあえず読んでみて!

タイトルイラスト/死後くん

 

#9 未知なる『パーリー建築』との遭遇 

「ストリート」という概念がある。屋内の真逆に存在する、屋外の世界のことだ。

部屋の中で大切に飼われている文鳥がいれば、路上にはドバトがいる。伊勢丹があれば、酉の市の屋台がある。ホールで演奏する楽団がいれば、道の上でリリックを口ずさむラッパーがいる。「ストリート」はこうして、内に閉じこもりがちな世界を相対化させる。「ストリート」からしか始まらない文化は、この世のありとあらゆるところに存在している。干からびたミミズ、片方だけの軍手、雨水を吸ってブヨブヨになった湿布。「ストリート」にしか咲かない花は、今日も静かに主張を続けている。

では、建築の世界においても「ストリート」の者たちはいるのだろうか。

建築、という響きを聞くと、私たちはどうしても「事務所で図面をひく設計士」のイメージを浮かべてしまう。初めにインドアな場所があって、初めて建物は生まれるのだと、そう頑なに思い込んでいる。

ところがここに、野良による建築手法を紡ぐ者がいる。

「ストリート」から建築を再解釈する壮大な実験を、半ば冗談で、そして半ば本気で、人生を賭けて続けている、ひとりの男の話のいまから始めたい。

 

私は東京と鳥取の二拠点生活をここ数年、送っている。月のうち、半分は東京で暮らし、もう半分は鳥取の集落で生活を営んでいる。

およそ二年前のことだ、鳥取滞在中の私の耳に、こんな噂が飛び込んできた。

「『パーリー建築』というヤバイ奴らが、近所に引っ越してきたらしい」

いったいその『パーリー建築』というのは、どのような輩なのか。聞けば、『パーリー建築』はいままで何年間も日本全国を旅しながら生きてきた集団であるという。珍妙なのはその旅のスタイルで、彼らは大工道具を腰にぶら下げながら、その土地その土地のリノベーションを希望する家主の元をまわり、そこで施工を開始、見返りに「寝場所」と「食べ物」、そしてリノベーションが完成した暁には「パーティー」をさせてもらうという条件を求めながら、移動を続けてきたらしい。そんな彼らが、どうしたわけだか急に移動を中止し、この鳥取に定住を始めたというのだ。

なんとお金のなさそうな連中なのであろうか。そして、なんと人を食ったような生き方を実践している連中なのであろうか。「寝場所」と「食べ物」と「パーティー」を求めてくるなんて、明らかにヤバイ奴らである。「パーティー」を「パーリー」と訳しているタイプは、だいたいヤバイのだと、私は経験値から知っている。

なるべくなら、お近づきにはなりたくない。私は最大の警戒心を払いながら、『パーリー建築』が自分の生活圏に入ってこないよう努めた。

 

しかし最近になり、私の耳に、こんどはこんな噂が流れてきた。

「実は『パーリー建築』というのは都市伝説らしい」

なんだ、なにを言ってるんだ。どういうことなんだ。『パーリー建築』というのは、幻想なのか。実体は存在していないのか。集団名のことではなかったのか。もしかして、概念なのか。

私は急に、いてもたってもいられなくなった。ミステリアスな匂いには、とことん弱いのである。

そしてほうぼうに連絡してまわり、『パーリー建築』の中心的な人物と思われる、宮原翔太郎氏なる男とコンタクトを取ることに成功、このたび初めてインタビューの機会を持つに至った。

指定された場所は、鳥取市内の居酒屋だ。

宮原氏は、全身から「ストリート」出身の気配を醸しつつ、冬眠から目覚めて山から下りてきたばかりの熊のごとき眠そうな目を浮かべながら、私の前に静かに座った。警戒心を忘れないようにしながら、私はおずおずと彼に質問を始めた。

野生の熊のような雰囲気の宮原翔太郎氏

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WRITER
ワクサカソウヘイ
ワクサカソウヘイ
1983年生まれ。文筆業。ルポ、コラム、コント台本などを執筆。主な著書に『夜の墓場で反省会』『ふざける力』『今日もひとり、ディズニーランドで』など。最新刊は『ヤバイ鳥』(エイ出版社)。
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