ワクサカソウヘイの「たてものはいきものだとおもうもの」【12】UR集合住宅歴史館で“理想郷”の白昼夢を見た

呼吸をしているような建物たちを、静かに興奮しながら鑑賞したい。建築物にまつわるアレコレを文筆家・ワクサカソウヘイが五感で味わい、綴ります。
今回は江戸東京たてもの園探訪に続く第二弾。UR都市機構 集合住宅歴史館を訪ねました。足を運んでみなければ、ここの魅力は分からないのですよフフフフ……。(編集部)
タイトルイラスト/死後くん
#12 集合住宅歴史館で“理想郷”の白昼夢を見た
「私と一緒に『集合住宅歴史館』へ行きませんか?」
瞳に興奮の色をにじませながら、本連載編集担当のS氏が、そんな誘いの声をかけてきた。
「集合住宅歴史館」。そのようなものがこの世に存在していることすら、私は知らなかった。いったいそれは、どのような施設なのか。
「自分もつい先日に初めて訪ねたんですけどね、とにかく最高なんですよ。楽園ってものがあるとすれば、きっとあそこのことなんじゃないのかなあ……」
S氏はうっとりとした口調で、誘い文句を続ける。
「あなたの求めているもの、そのすべてがそこにはあります。一度足を踏み入れたら、きっと『集合住宅歴史館』の虜になることでしょう。行きましょうよ、いや、絶対に行くべきだ」
普段は落ち着いた紳士であるS氏がこんなにも熱弁を吐くなんて、実に珍しいことだ。いったい彼は、「集合住宅歴史館」でなにを体験し、どんな景色を見てきたというのだろう。
私は一気に興味を惹かれ、「行きましょう」と返事をしたが、しかしどこかで警戒心のようなものを浮かばせてもいた。ここまでの展開が、映画『ミッドサマー』の導入部分に似ていたからである。「楽園」を謳う者の言葉には、眉につばをつけながら耳を傾けたほうが賢明だ。先日に観たあの映画は、自分にそんな教えを示してくれていた。
そんな感じで、私は期待と疑心をないまぜにしながら、S氏に連れられて「集合住宅歴史館」へと赴いた。それはスウェーデンのはずれではなく、東京のはずれの北八王子に存在していて、そして季節は夏至ではなく冬の終わりで、白夜の太陽ではなくうっすらとした曇天模様が上空には広がっていた。
「ようこそ、『集合住宅歴史館』へ!」
エントランスに足を踏み入れると、施設職員のみなさんが笑顔で出迎えてくれる。
「こちらの施設では、1960年代に建てられた団地や、建築史的に価値の高いアパートなどを移築復元し、それらにまつわる建築技術などの変遷を紹介する展示を行っています」
そう、「集合住宅歴史館」は、つまり日本における「公団住宅」などを専門に扱う歴史博物館なのである。なるほど、これはたしかに面白そうではある。
しかし、なんだか違和感を覚える。
「移築復元」ということは、元々どこかで集合住宅として使われていた建築物を、そのままこの施設内に持ってきた、ということになる。しかし、エントランスの窓から施設の全景を見渡してみても、団地やアパートの姿など影も形も認められない。そもそも、そのような巨大な建築物を北八王子に運んでくるなんて、ちょっと非現実的すぎやしないか。そうか、全員で寄ってたかって私を騙そうとしているんだな、助けてくれ!
「まあ、その辺りの謎はのちほど解けてきますので、まずはこちらへどうぞ……」
そう言われて、長机が並ぶ小さな部屋へと案内される。なんだ、一同が会する食事でも始まるのか、そして和やかな雰囲気から徐々に懐柔されるのか、と猜疑心をさらに高めたが、しかし配られたのは皿やスプーンではなく、この「集合住宅歴史館」のパンフレット。職員さんが、施設の概要についてのガイダンスを行ってくれる。
「ここは無料で見学することのできる施設ですが、事前予約制となっております。そして各グループには、必ず説明員が帯同いたします」
そう、この「集合住宅歴史館」は、説明員さんが付きっきりで案内をしてくれる施設なのである。「集合住宅」にまつわる歴史の面白さを、じっくり深く味わってもらうべく、あえてこの少人数制のスタイルを採用しているのだ。私は覚悟を決めた。よし、こうなれば、とことん集合住宅の魅力を教えてもらおうではないか。しかし簡単に心を奪われたりはしないぞ……。
「では、館内を巡る前に、まずはこちらの映像をご覧ください」
そんなアナウンスと同時に部屋のTVに映されたのは、『団地への招待』という古めかしいフォントのタイトル。これは「集合住宅ってこんな素敵な場所ですよ」という啓発を目的として1960年に制作された映画なのだという。当時、一般市民にとって「団地」とは未知なる概念であったのだ。
映画の主人公は、これから集合住宅に住む予定の、若い既婚女性。夫と連れ立ち、姉夫婦の住む団地を訪れ、その生活ぶりに触れていくという物語が綴られていく。
「へえ、そっか。団地はコンクリートだから、換気に注意しないとガス中毒になるのね」
「すごい、団地の中に商店街があるのね。お買い物が便利だわ」
「公園も併設されているから、子どもたちも楽しそうだわ」
「集会場では結婚式も挙げられるのね! 住民のみんながお祝いしているわ!」
「これから団地という新しい社会で暮らすんだから、あたしたちもしっかり心構えを持たなくっちゃね」
映画の中で、主人公の女性は「団地の近未来的生活」に驚きの声を何度も上げ、そしていままでの「木造一軒家」ベースの暮らしにはなかったルールに気づいていく。
「集会場で結婚式」とか、いまでは冗談にしか聞こえないが、映画の中では当然のトーンで語られている。当時の人々が、新たな共同体である「集合住宅」に理想郷の夢を描いていたことが窺い知れ、なんだかグッと来てしまった。まずい、早くも心が掴まれかけている。
「それでは、ここからは私がご案内いたします」
そう言って部屋の扉の前に立ったのは中島さんだ。彼女はこの「集合住宅歴史館」に勤める前にはバスガイドのお仕事をしていた、ベテランの説明員さんである。
エントランスから続く廊下を抜けると、中庭が広がる。そこを横切っていくと、分厚いサンドイッチのような、やや異次元的な風貌の建物が現れる。
「こちらが集合住宅歴史展示棟、この施設のメインゾーンになります」
驚くべきことに、この決して巨大とは言えない長方形の建物の内部には、日本各地でこれまで実際に活躍していた団地たちが「切り貼り」されているのだという。集合住宅の建物全体を移築するのではなく、部分的に分解し、それを展示場として再構築しているのだ。つまり、いま私の目の前に建っているのは、いくつもの団地の要素を合成した「建築物のキメラ」なのである。
「ふふ、ちょっとずつ謎が解けてきましたでしょうか?」
中島さんが嬉しそうに尋ねてくる。いや、まだ外観を眺めただけだ。早く内部の全貌を把握させてください! お願いだよ、中島さん! 早く祝祭に参加させてください!
ところが中島さんは、私のはやる気持ちをじらすようにして、入り口の前に立ったまま、こんなことを言ってくるのである。
「あれ、もしかしてなんですけど、以前にお会いしたことありましたっけ? どこかで面識のあったお顔のような……」
古より伝わる、ナンパの手口である。「いえ、初めてお会いすると思いますが……」と返しつつも、私の心はかき乱される。「あら!それは失礼しました! ふふふ」と笑う中島さんに、一気に愛着を感じてしまっている自分がいる。まだ施設巡りのスタート地点に立ったばかりだというのに……、これが熟練説明員さんの人心掌握術……。

見学者の心をくらくらさせる中島さん

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