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エッセイスト・宮田珠己の「迷宮は人生のインフラである」【5】伊豆長岡温泉 南山荘の記憶

エッセイスト・宮田珠己の「迷宮は人生のインフラである」【5】伊豆長岡温泉 南山荘の記憶

いい感じの石ころを拾いに』(中公文庫)も刊行されたばかりの多趣味なエッセイスト・宮田珠己氏による迷宮へのいざない。今回はいつまでも彷徨いたくなってしまう名旅館の記憶を手繰ります。(編集部)

名迷路建築は温泉にあり

もう7~8年前のことになるが、私は温泉好きの仲間と3人で、全国の気になる温泉旅館をめぐって旅をした。特に気になっていたのは、ずばり内部が迷路のようになった温泉旅館である。

といっても迷路に惹かれていたのは私だけで、あとのふたりは温泉主体で楽しんでいた。そのときの様子は『四次元温泉日記』(ちくま文庫)に詳しく書いたので、同じような嗜好の方は、ぜひ読んでもらいたいが、日本の温泉旅館には実に歪で変態的に錯綜した建物が多く残っていた。

そのほとんどは、増築を繰り返すうちにどんどん迷路化していったもので、今となっては建築基準法をクリアできているのかどうなのかもよくわからないが、アウトなんじゃないかと思うようなものもあった。

数ある迷路化した温泉宿のなかで、私がもっとも迷路的であると感じたのは、伊豆長岡温泉の南山荘という温泉旅館だ。

ここは無理な増築を重ねた結果というよりは、敢えてこういうものとして作られた、すなわち迷路であろうとした迷路建築として強く印象に残っている。

残念ながら、今は休館してしまい、その豪勢な迷路を味わうことはできなくなっているようだ。理由は知らないが、いつの日か再開されることを願いつつ、ここで南山荘の記憶をたどりその迷路っぷりを紹介してみたい。

南山荘は、1907(明治40)年に、伊豆長岡温泉を開いたといわれる大和宇平が創業。当時は「大和館」と名乗っていたが、1938(昭和13)年に純和風建築の離れを竣工、常連客としてよく訪れていた北原白秋がこれを大和館南山荘と命名した。その後さらに1965(昭和40)年に南山荘と改められている。
ここで取り上げたいのは、この離れだ。

営業当時の説明書きを引用する。

当荘の離れ風客室は22室ございまして、それぞれが違った間取り・意匠が凝らされています。正規の書院造は2室だけで、全体的にはどの部屋も茶室に見る数奇屋建築を基本として建てられています。 床柱や落し掛け、天井の棹縁には樹皮が付いたままの面皮材(めんかわざい)を多用し、壁や天井には竹や檜の経木を編んだ網代(あじろ)を、窓の下には下地窓を設けています。侘び・寂びの風合いを重んじながらも、伝統の建築技法を自在に駆使して瀟洒な建物に仕上げております。 また部屋ばかりでなく、廊下の意匠にも工夫を凝らし、白壁には漆喰を用いたり、谷間に橋を懸けるなど、南山荘全体が雅趣に富んだ茶人や文人好みの宿所として建てられております。

北原白秋のほかに川端康成もここに逗留し、『伊豆温泉記』を執筆したほど由緒のある温泉宿なのだが、由緒があろうがなかろうが、建物そのものがすごい。
説明でも触れられているように豪勢な橋がある。


これは敷地内に谷があるからで、というのも敷地全体が山の斜面であり、そうなると橋だの階段だのを適宜設けないことには横移動できないわけなのだ。建物は自然に迷路化していくことになる。


私が最初に心打たれたのは、本館から離れに向かう長い階段であった。途中ゆるやかに右に折れているのだが、その階段が妙に歪んでいるのだ。

まるでおとぎ話に出てきそうな光景である。昇った先で異世界に転移しそうだ。あまりに素敵な光景なので、私の本の表紙に採用したほどである。

そしてその先には露天風呂があるのだが、そこへの通路も面白い。

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宮田 珠己
宮田 珠己
エッセイスト。大阪大学工学部土木工学科卒。一度は就職するものの、独立してフリーランスに。著書に『ニッポン47都道府県正直観光案内』『無脊椎水族館』(ともに本の雑誌社)、『四次元温泉日記』(ちくま文庫)、『東京近郊スペクタクルさんぽ』(新潮社)、『晴れた日は巨大仏を見に』(幻冬舎文庫)、『ジェットコースターにもほどがある』(集英社文庫)ほか多数。2017~18年度朝日新聞書評委員。現在、湘南モノレールWEBサイト「ソラdeブラーン」の編集を担当。
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