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宮田珠己の「迷宮は人生のインフラである」【7】飛騨金山で恍惚の「筋骨めぐり」

宮田珠己の「迷宮は人生のインフラである」【7】飛騨金山で恍惚の「筋骨めぐり」

「筋骨案内人」の岡戸さん

飛騨金山駅に降り立つと、オレンジ色の金山町観光協会のスタッフジャンバーを着た年配の男性がぽつんと待っていた。

先方だけではない。駅で降りた客も私ひとりだけだったから、なんだか拍子抜けした。かつての宿場町ともいうし、飛騨金山と聞けば当然飛騨高山を連想するから、それなりの観光地だろうと思って来てみたら、駅は静かなものだった。

その日の「筋骨めぐり」ツアーの客ももちろん私ひとり、そのためにわざわざガイドさんに出てきてもらって申し訳ない気分だ。

ガイドの岡戸(おかど)さんは、リタイアしてこの町に来たそうで、この町の良さはよそから来た人でないとわからないと言った。もともとは好きな釣りに没頭したくてここに移り住んだのだったが、「筋骨」の魅力を知り、案内人を買ってでたのだそうだ。

大きな荷物を駅で預かってもらい、さっそく歩きだす。

「この駅はね、昭和3年にできたんです。当時は終着駅だったんですよ」

とさっそく教えてくれる。高山本線を北へ伸ばす過程で一時期ここが終着だったときがあったようだ。

飛騨金山駅

駅から筋骨の集中する金山宿へ行くには、飛騨川を渡らなければならない。その手前にダムの放水路があって、それを跨ぐように変わった形の鉄塔が立っていた。

ダム放水路と鉄塔

「左右対称じゃなくて面白いでしょ」

それだけといえばそれだけだが、こんなものを見るだけでも気分が満たされるのは、路上観察好きの業だろうか。岡戸さんによれば「筋骨めぐり」ツアー客には人気の鉄塔だそう。それどころかわざわざこの鉄塔だけを撮りに来る人もいるらしい。

飛騨川にかかる金山橋を越える。

金山橋

飛騨金山の宿場が栄えたのは、ここに渡しがあったからである。そこに橋が架かることになって、この町は相当な危機感を覚えたらしい。

「これができると人が来なくなるというので、この町は人を呼ぶために歓楽街に変わったんです」

路線変更が当たり、町はその後も長く発展した。パンフレットには昭和40年代が最も栄えていたとある。

「その頃はパチンコ屋が5軒もあったね。お寺を移築して、『夢の国』っていうキャバレーを作ったりしてね。外見は寺だけど、中はミラーボールが回ってた」

と岡戸さんは笑う。

街道脇の建物にも歓楽街だった頃の名残りが

少し歩いて左の路地に入り、しばらくいくと家の隙間を指して

「これ、筋骨」

と指差す。そこには細い路地があった。

「筋骨」

狭い!

なんて狭くて先の見えない魅惑的な路地だろう。初めて目にした「筋骨」にワクワクする。個人宅の敷地にも見えるが、階段が切ってあり、ここがちゃんと道であることを示している。驚いたのは、平成15年まで「筋骨」は国道だったということである。岡戸さんによれば「これを私道にすると通るなという人が出てくる。だから誰でも気兼ねなく通れるよう国道に指定されていた」のだそうだ。

これが国道?

にわかに信じられない。

「今はどうなってるんですか?」

「市が管理しています」

国道でなくなっても、公共物であることに変わりはないようだ。

「ここは宿場町なんで、表通りは商店が並んで、お客さんがたくさん歩いていました。なので普段着の住民はこういう裏道を使っていたんです。表通りをいくより、『筋骨』を使ったほうが実際近いんですね」

以前横須賀の迷路を彷徨したとき、ドンツキ協会の齋藤さんが、迷路になりやすい町の特徴として、港町、温泉、鉱山を挙げていたが、飛騨金山はそのどれにも当てはまらない。ふたつの川が合流する複雑な地形があり、同時に宿場町であったこと、つまり狭い土地に人口が集中したのが原因というわけか。

 
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WRITER
宮田 珠己
宮田 珠己
エッセイスト。大阪大学工学部土木工学科卒。一度は就職するものの、独立してフリーランスに。著書に『ニッポン47都道府県正直観光案内』『無脊椎水族館』(ともに本の雑誌社)、『四次元温泉日記』(ちくま文庫)、『東京近郊スペクタクルさんぽ』(新潮社)、『晴れた日は巨大仏を見に』(幻冬舎文庫)、『ジェットコースターにもほどがある』(集英社文庫)ほか多数。2017~18年度朝日新聞書評委員。現在、湘南モノレールWEBサイト「ソラdeブラーン」の編集を担当。
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