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宮田珠己の「迷宮は人生のインフラである」【8】奥多摩工業氷川工場で「線を見ていたい」という欲望

宮田珠己の「迷宮は人生のインフラである」【8】奥多摩工業氷川工場で「線を見ていたい」という欲望

新型コロナウイルス感染拡大によって、首都・東京の中心部は人の感情や情報がいささか混線中。かたや先月、エッセイスト・宮田珠己さんと訪ねたのは、同じ東京でも山深くひと気のない奥多摩です。廃墟マニアには有名な奥多摩工業氷川工場には“線の迷宮”が鎮座していました。いつの日か、ぜひ。(編集部)

奥多摩の大要塞

まだ学生だった頃、週末になると、とりたての免許で彼女をドライブに誘った。彼女は大阪の南部に住んでおり、デートの後、彼女を家まで送り届けると、私は大阪の北部にある自宅まで阪神高速4号線を飛ばして帰るのが週末のルーチンだった。

そのとき車窓の左手に見える眺めに私はいつも圧倒された。

たくさんの煙突とタンクと配管が闇のなかでぼんやりと輝いている。

それは堺泉北臨海工業地帯の工場群であった。

ああ、なんてかっこいいんだ、工場地帯!

工場萌えという言葉が登場するはるか昔のことだ。

後に日本有数の工場鑑賞スポットになっていく稀有な場所を、私はデート帰りに通過していたのであった。

以来、機会があると工場地帯を見に行くようになった。工場萌えブームがやってきたとき、そうだろうそうだろう、あれはみんな好きに決まっていると実に腑に落ちたのを覚えている。

そんな私が、いつか行かねばと思いつつ、先延ばしにしてきたスポットがある。

奥多摩工業氷川工場。

JR奥多摩駅のすぐ隣にあるその工場は、工場マニアの間ではとくに有名な聖地である。

有名すぎて私が紹介するのも憚られるのだが、川沿いに岩壁のようにそそりたつ白い要塞のような巨大な姿は、マニアでなくても圧倒されるはずだ。

その奥多摩工業氷川工場を、編集部のSさんといっしょに見に行ってみることにした。

 

JR奥多摩駅から日原川にかかる橋を渡り、川原に下りると、対岸にその巨大な姿が見えてくる。


写真を見てもらえば、それ以上、私が何かを語る必要はないだろう。

いい。

工場マニアたちが絶賛する圧倒的な姿を、ようやく見ることができ、私は静かに感動したのだった。

先日群馬県の安中へ行って、工場マニア垂涎の絶景と言われている東邦亜鉛安中製錬所を見てきたのだが、そこよりも100倍いい。

安中製錬所は斜面に工場が広がって全体をうまく見渡すことができなかったのに対し、ここでは工場が立ち上がって、全貌をさらして見せてくれている。工場が見るものを威嚇しにきていると言ってもいいかもしれない。

ここにカフェでも作ってくれたらコーヒー一杯で何時間でも過ごせそうだ。

工場観賞スポットは全国にあるが、ここはそのなかでも一級品だ。

なぜ、こんなにも“いい”のか。

理由を考えるのは後にして、まずは細部をじっくり眺めてみる。

この工場を絶景たらしめている要素として、斜めに走るベルトコンベアが重要であろうことは容易に想像ができる。

この斜線があるとないとでは、風景の心に食い込んでくるレベルがまったく違ってきそうだ。

斜めに走る線はあちこちに見えて、上から玉を転がしたら、それがあっちいったりこっちいったりしながら落ちてきて、最後チンッと音が鳴って、下から景品がゴトゴト出てきそうな、そんな夜店のピンボール感というか、ピタゴラスイッチ感がある。そのカラクリっぽさに痺れてしまう。これが斜線がなくてあらゆる線が水平垂直に延びているだけだったら、これほどの感動はなかっただろう。

左右上部から斜めに下ってきた線が中央付近で交差するあたりの風味ときたら、もうなんというかカニである。深海に棲むタカアシガニの味わいがある。


細部の線もかっこいい。

ごちゃごちゃしているあたりをクローズアップしてみると、配管や鉄骨やベルトコンベアなどのいろんな線が錯綜していて、果たしてこれは設計図があってこうなっているのか、それとも後から後から増築を重ねていったなれの果ての姿なのか、わからなくなってくる。たぶん後者じゃないだろうか。

この工場の設計図面があるなら見てみたいものだが、図面どころか、すべての通路を途中迷うことなく歩ける人もいないのではないか。誰も知らない通路とか、どうやってもたどりつけない部屋のような、謎の空間が内部にいくつも隠れているのではあるまいか。どこか奥のほうにクフ王の棺か、得体の知れない怪物でも棲んでいるような気がする。

内部見学ツアーでもやってくれたら、全国の工場マニアが殺到してきっと大盛況だと思うのだが、行方不明者が出る可能性も考えられる。現代の忍者寺のようなものだ。

裏に工場内部を通過するかのような公道があるというので行ってみることにした。

いったん駅に戻り、そこから小学校の脇をあがっていく。

小学校の校舎越しに、そびえたつ工場の姿が見える。

てっぺんに青い小屋があって、たぶんトランスフォーマーである。いざとなればぐるぐるっと形を変えながら立ち上がって、悪と戦うにちがいない。

道端で休んでいたお年寄りに道を教えてもらい、さらに歩いていくと、山沿いの細い道に出て、やがて工場が目の前に現れた。

なるほど噂の通り、工場の敷地に入り込んだかのような近さだ。工場はそこらじゅうが錆びて廃墟のように見えなくもないが、むしろそうだからこそ味わいが感じられる。あちこちに走るベルトコンベアを見ていると、ジェットコースターにも見えてきた。

気になる穴もある。

斜めに突き出したまま、何にも繋がっていない。もともと何かに通じていたのが、取り外されたのか。それともあそこから何かが発射されるのか。

さらに歩くと、込み入った構造物の奥に、石くずを運んでいるベルトコンベアの姿も見えた。

ここは本当に公道なのか、いつの間にかわれわれは敷地内に侵入していたのではと心配になるほどだが、はっきり言えば眼福とはこのことである。

この眺めを見られただけでも来た甲斐があった。

それにしても、公道と工場の敷地の区別はいったいどうなっているのか。

公道の上に建物が跨っていたりするから、わけがわからない。

そしてどれもこれも迷路的要素ばかりだ。工場内部が相当ややこしい迷路になっているだろうことは想像がつく。めちゃめちゃ探検したい。

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WRITER
宮田 珠己
宮田 珠己
エッセイスト。大阪大学工学部土木工学科卒。一度は就職するものの、独立してフリーランスに。著書に『ニッポン47都道府県正直観光案内』『無脊椎水族館』(ともに本の雑誌社)、『四次元温泉日記』(ちくま文庫)、『東京近郊スペクタクルさんぽ』(新潮社)、『晴れた日は巨大仏を見に』(幻冬舎文庫)、『ジェットコースターにもほどがある』(集英社文庫)ほか多数。2017~18年度朝日新聞書評委員。現在、湘南モノレールWEBサイト「ソラdeブラーン」の編集を担当。
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