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宮田珠己の「迷宮は人生のインフラである」【10】多摩ニュータウン遊歩道に極上の迷路を見た【前編】

宮田珠己の「迷宮は人生のインフラである」【10】多摩ニュータウン遊歩道に極上の迷路を見た【前編】

第10回を迎えた宮田珠己さんの“迷路的なもの”をめぐる連載。これまでめぐってきた“迷路的な街”といえば、雑賀や横須賀、飛騨金山など歴史ある辺境の地でした。しかし折しも世はコロナによる外出自粛の嵐が吹き荒れています。これではなかなか迷路の街には行けないなァ……と悲観することはありません。そう、迷路は、あなたの街にもひっそりと隠れているのですから。(編集部)

多摩ニュータウンの遊歩道

私は思春期のほぼすべてを大阪の千里ニュータウンで過ごした。10歳のときに近隣の市から引っ越してきて、22歳で就職して東京に出るまで、12年もの月日を過ごしたのである。

なので、もし「あなたのふるさとはどこですか?」と訊かれたら、「千里ニュータウン」と迷いなく答えるだろう。
私が千里に越してきた70年代の半ば頃は大阪万博の記憶もまだ新しく、ニュータウンといえば文字通り「ニュー」な「タウン」として誰もが未来的なイメージでそれを捉えていたが、いつの頃からか、人工的で多様性のない非人間的な街と言われることが多くなっていったように思う。

どこかのニュータウンは自殺者が多いなどと嘘か本当かわからない噂を持ち出されたりすると、そう言われてみれば息が詰まるようなところはあるかも、と妙に納得したような気にさせられたものだ。

実際、子どもの足で行ける範囲は同じような街並みが続いていて単調だなあとは私も思っていた。単調だけれど、安全で清潔な印象もあって嫌いではなかったのだが、できれば、どこに通じているのかわからない謎の小道とか、角を曲がると突然異世界のような風景が広がるとか、そういう場所がもっとあったらいいなと子ども心に感じていたのはたしかだ。

そのせいだろうか、当時、道路上の突起物や白い線の上を陸地、それ以外を海に見立てて、海に落ちないようにどこまで行けるか冒険するのが自分のなかで流行っていた。たったそれだけで単調な街が死と隣り合わせのドラマチックな世界になる。今思えば“子どもあるある”だとも思うが、自分なりに単調さを回避する方法を模索していたのかもしれない。

千里ニュータウンを出てはや数十年、現在の私は東京の多摩地区に住んでいる。多摩ニュータウンではないけれど、ときどき多摩ニュータウン方面に買い物に出かけることもある。

あるとき、漠然と地図を眺めていて、多摩ニュータウンには遊歩道が多いことに気がついた。グーグルマップで見ると、歩道を示す緑色の細い線が、車道を示す白の二重線の間を無数に走っている。周囲の街と比べて、明らかに緑の線が多い。

多摩ニュータウン地図(Google MAPより)

車道と歩道を分離して安全性を高めるのは、ニュータウン設計の基本だ。

かつての千里がどうであったか細かいことは忘れたが、どこも歩道が広く、どこにいても少し歩けばすぐ公園が見つかったことを覚えている。多摩ニュータウンも地図で見る限りそんなふうに設計されているようだった。

そうしてふと思ったのである。

この歩行者専用の遊歩道を陸とし、車道その他を海としたとき、海に落ちずにどこまで行けるだろうかと。

多摩ニュータウンの遊歩道はまるで毛細血管のように縦横に走っており、迷路になっていると言ってよさそうだった。しかもそれが相当広範囲に広がっているくさい。

地図を見ているうちに、多摩ニュータウンが魔の海に浮かぶ回廊のように思えてむずむずしてきた。

この迷路を車道の海に落ちずにどこまで行けるか歩いてみたい。

というわけで梅雨明けを待って多摩センターへ出かけたのである。

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WRITER
宮田 珠己
宮田 珠己
エッセイスト。大阪大学工学部土木工学科卒。一度は就職するものの、独立してフリーランスに。著書に『ニッポン47都道府県正直観光案内』『無脊椎水族館』(ともに本の雑誌社)、『四次元温泉日記』(ちくま文庫)、『東京近郊スペクタクルさんぽ』(新潮社)、『晴れた日は巨大仏を見に』(幻冬舎文庫)、『ジェットコースターにもほどがある』(集英社文庫)ほか多数。2017~18年度朝日新聞書評委員。現在、湘南モノレールWEBサイト「ソラdeブラーン」の編集を担当。
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