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のんびりできる迷宮、小豆島「迷路のまち」/宮田珠己の「迷宮は人生のインフラである」【12】

のんびりできる迷宮、小豆島「迷路のまち」/宮田珠己の「迷宮は人生のインフラである」【12】

高低差もないのになぜ迷路になったのか

ところで私には根本的な疑問がある。

この町は西光寺が少し小高い丘になっている以外はほぼ平らであり、一般に迷路状の路地が高低差のある土地に生まれやすいことを考えると、なぜここが迷路になったのかわからないのだ。

西光寺境内から見た迷路のまち

以前横須賀を案内してくれたドンツキ協会の齋藤さんが、町が迷路化しやすい条件として、漁港、温泉、鉱山の存在を挙げていた。それはつまり平地の少ない港や山間の温泉や鉱山に町を作ろうとすると、高低差があるために土地の利用が制限され、その制約によって街路がまっすぐに引けないからである。高低差は迷路化の大きな条件のひとつなのだ。

だが、この迷路のまちにはほとんど高低差がない。

なぜこの町は迷路になったのか。

町を紹介するホームページやネット上の記事、パンフレットなどを参照すると、海賊から町を守るためという説や、戦のためという説、もしくは強い風が吹き抜けないようにするためといった説があったが、地元でも結論は出ていないようだ。

土渕海峡の対岸に町立中央図書館があったので資料を探してみたのだが、はっきりと理由がわかる資料を見つけることができなかった。司書の方に尋ねても、迷路のまちの成り立ちはよくわかっていないんです、との答えである。

海賊から守るためという説はなんだか腑に落ちない。私は歴史学者でも民俗学者でもないので間違っているかもしれないが、瀬戸内海といえばかつては海賊の庭であり、海賊に対抗しながら村が存続できたとは思えないからだ。それより、むしろ海賊側だったのではなかろうか。だとすれば敵対する海賊との抗争から町を守るための迷路化だったのか。だが、もしそうならばもう少し山に入ったほうがいい気がする。背後に急峻な山があるのだから迎え撃つにはそのほうが有利ではあるまいか。

海賊ではなく南北朝時代の戦乱に備えたという説もある。渓谷美で知られる寒霞渓の奥、険阻山には、かつて南朝方の佐々木信胤が星ケ城を構え、これを北朝方の細川師氏が攻略した。その際、細川勢の侵攻に備えて佐々木側がこのような迷路状の路地を作って備えたというのだが、それにしては小さな集落であり、守るべき城からもずいぶん遠い。ここだけ迷路にしてもしょうがない気がする。重要拠点だったのだろうか。

強い海風を避けるためというのもどうだろう。それならばまず防風林を置くとか、能登半島で見られる「間垣」のようなものを作るとか、もっと効果的な方法がある気がする。

どれも私の素人考えだから、本当はこのなかに答えがあるのかもしれないけれど、地元でもはっきりしないということは、どれも決め手に欠けるのだろう。

帰宅して写真を眺めていると、中央に溝のある路地がずいぶん多いことに気づいた。普通は道路の側溝に使われるようなコンクリートの蓋が路地の中央を延々と走っているのだ。

ということはここでは溝も迷路になっているにちがいない。排水溝には勾配が必要だから、この溝の迷路を作るのはなかなか大変だったんじゃないかとそんなことを考えた。

最後に、迷路のまちの道を例によって図にしてみる(地図やストリートビューでは私道と公道の区別がつかないので、この図では物理的に繋がっていれば道としている)。

土庄迷路のまち図

雑賀崎や横須賀ほどではなかったものの、のんびり散策するにはいい迷路だったのである。

 
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WRITER
宮田 珠己
宮田 珠己
エッセイスト。大阪大学工学部土木工学科卒。一度は就職するものの、独立してフリーランスに。著書に『ニッポン47都道府県正直観光案内』『無脊椎水族館』(ともに本の雑誌社)、『四次元温泉日記』(ちくま文庫)、『東京近郊スペクタクルさんぽ』(新潮社)、『晴れた日は巨大仏を見に』(幻冬舎文庫)、『ジェットコースターにもほどがある』(集英社文庫)ほか多数。2017~18年度朝日新聞書評委員。現在、湘南モノレールWEBサイト「ソラdeブラーン」の編集を担当。
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