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【戦後インフラ整備70年物語】日本のまちの発展に寄与した東海道新幹線建設秘話

【戦後インフラ整備70年物語】日本のまちの発展に寄与した東海道新幹線建設秘話

民営・分割以降の東海道新幹線の強化

JR東海が発足したのは東海道新幹線開業24年目のことだ。しかし国鉄時代に累積した赤字のせいで技術はあまり進歩しておらず、さらに構造物もかなり酷使されていた。当時、JR東海の取締役総合企画本部長だった葛西敬之氏(現JR東海 取締役名誉会長)は、「東海道新幹線は10年は持つ。しかし20年後はもしかすると、取替が発生するかもしれない、というのが土木専門家の見解だった」と話す。

※葛西氏の「葛」は中が「ヒ」

「輸送力的には、4分の1本の列車運行で、1時間に15本の列車が走る。そのうち4本は車庫に出入りする回送列車なので実質11本の営業列車が走るが、すでにひかり6本、こだま4本の計10本を走らせていたので、輸送力は限界に近かった。一方で航空は広島、岡山、関西国際空港の建設が進んでおり、さらに羽田空港の滑走路の拡張が行われていたので競争条件は厳しいという状況だった」

その中で、さらに大きな問題だったのは多額の債務だ。東海道新幹線を含む新幹線の地上設備、車両以外のすべては、新幹線鉄道保有機構という特殊法人が所有していて、その特殊法人が国鉄の債務である約8兆5千億円を引き継いだ。その後、新幹線鉄道保有機構の解体により、そのうちの5兆円あまりをJR東海が引き受けることになったのだ。

「リスクは債務」だとして、債務返済を優先するか。東海道新幹線の競争力を強めることに優先順位を置いて、設備投資を積極的に行うか。あるいは、その両方をバランスをとって行うかー。3つの戦略のうち、JR東海は「国家的使命、大動脈輸送を万全化するために、捨身で設備投資に取り組む」という道を選んだ。

「非常にリスクテイキングだったが、『設計図の悪い飛行機が飛ばなければ、設計した人が直せばいい』とし、我々はリスクをとって使命を優先する方向を取った」と葛西氏は振り返った。

「現在、20年後、そして50年後の未来を追求するのが、鉄道経営の基本だ」とする葛西氏。利便性を守りつつ、対テロや災害などに対する安全性も守る。その連立方程式をどう解くかが日々の課題なのだという。

JR東海発足時に「20年後の未来」に向けた戦略として考えたことのひとつが高速化(270km/h化)だ。カギを握ったのが車両軽量化で、900~1,000トンあった車両を、700トンにまで軽くした。これによって省エネルギー化を達成したのと同時に、構造物の寿命延伸を達成。また車両の仕様統一も行い、1号車から16号車までの車両座席数をすべて統一し、汎用性を高めたのだ。そして品川駅新設により首都圏のアクセス性を高めて、競争力を向上した。

また、積極的な設備投資により現在は1時間に15本の営業列車の運行が可能になった。さらに外部経済効果取り込みの試みとして、名古屋駅にJRセントラルタワーズを建設したことも忘れてはいけない事実だろう。

そして、50年後の未来を見据え、リニアの技術開発、中央新幹線の建設に取り組んでいる。これも「JR東海発足当時からの計画」だというのだから驚かされる。葛西氏によれば「整備新幹線の建設計画が凍結されていく状況で、『中央新幹線をつくろう』という話はなかなか言いにくかった。だからまずリニア開発本部において技術開発から手を付けることにした」のだとか。

そしていま、東京~大阪間の自己負担での建設・運営を公表したJR東海は、その工事に邁進しているのである。

 
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「建設の匠」編集部
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