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【橋脚崩壊】阪神・淡路大震災のダメージから阪神高速道路はいかにしてよみがえったのか【インフラ復旧】

【橋脚崩壊】阪神・淡路大震災のダメージから阪神高速道路はいかにしてよみがえったのか【インフラ復旧】

1995年1月17日午前5時46分。明石海峡付近を震源地としたマグニチュード7.3の大地震が発生。夜明け前の阪神地区は戦後最大級の災害に見舞われた。“阪神・淡路大震災”である。

死者は約6,400人。壊れたり倒れたりした建物の数は約20万戸。一番多いときの避難者数は約32万人。そして、道路や港湾のさまざまな施設、高速道路や鉄道などの都市機能が壊滅的な打撃を受けた。

被害を受けたのは、主要交通インフラである阪神高速道路も例外ではなかった。兵庫県域のおよそ半数の柱がなんらかの被害を受けた。3号神戸線では635mにわたって高速道路が倒れ、4か所で橋が落ち、5号湾岸線でも1か所の橋が落ちる惨状だった。そのショッキングな空撮映像は、日本はおろか、世界中を震撼させるにじゅうぶんだった。

「関西で大地震など起きない」と言われていて、油断していたその街を襲った都市直下型地震。阪神高速道路公団はそこからわずか1年8か月で、いかに全面復旧までたどりついたのか。あらためて、そのプロセスを追ってみたい。

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「建設の匠」編集部
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