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【新1万円札紙幣の顔】日本資本主義の父・渋沢栄一ゆかりの建築たち【みんなの人気者】

【新1万円札紙幣の顔】日本資本主義の父・渋沢栄一ゆかりの建築たち【みんなの人気者】

渋沢栄一(1840~1931)。日本の大実業家である。その彼が、2024年度から発行される新一万円札の肖像モデルになるという。

東京都千代田区の大手町、常盤橋近くにある渋沢栄一像

新一万円札案(表面)。デザインはもう少し洗練されると信じたい

渋沢栄一とはいかなる人物か。新紙幣報道発表日の晩、立ち呑み屋で「すげーよな音楽評論家なのに!!」と騒いでいるオッサンがいたが、それは明らかに別の人である。

だからといって「しぶさわえいいち」で検索したら出てくる「渋沢栄一の出身大学は?恋人はいるの?年収は?まとめてみました!」などという記事を書くつもりはないのでご安心いただきたい。『建設の匠』らしく、彼の生涯をゆかりの建築物で追ってみたい。

攘夷→幕臣→官僚→銀行設立という超絶キャリア

渋沢栄一は、現在の埼玉県深谷市の農家にて生を受けた。家業を手伝うかたわら、幼い頃から論語などを学んでいたという。成人後「尊皇攘夷」思想にかぶれ、高崎城(群馬県)乗っ取りの計画を立てる。若気の至りでテロはよくないよ23歳の栄一。

結果としてそれは実行せず、京都へ出奔。一橋慶喜に仕えることとなる。のちに慶喜は徳川十五代将軍となり、渋沢も自動的に幕臣に。わらしべ長者みたいな展開だ。1867年には徳川昭武ら訪欧視察団のお供としてパリ万博へ。パリで何を想ったんだ27歳の栄一。

渋沢栄一の勤め先のひとつ、江戸城(現在の皇居)

そして迎えた明治維新。まだ29歳だった渋沢は明治政府に仕え、民部省租税正となる。1870年には群馬県の富岡製糸場設置主任に。富岡製糸場が2014年に世界遺産に登録されたのはご存知のとおりだ。

富岡製糸場も赤レンガでつくられている

1873年、33歳で大蔵省を辞職し、宮仕えから民間へ。日本最古の銀行である第一国立銀行(現:みずほ銀行)を創立し、総監役となった。ここからは非常に多くの企業・団体の設立に関わっている。

渋沢栄一記念財団によれば、その生涯で約500の企業に関わり、約600の社会公共事業に尽力したそう。あまりに多すぎるので、ここでは一部の建設・インフラ関連業の紹介にとどめておく。

・日本土木会社(現:大成建設)

・清水家(現:清水建設)

・東京瓦斯・大阪瓦斯(現:東京ガス、大阪ガス)

・東京電力(現:東京電力)

・田園都市(現:東急電鉄)

・日本郵船

・秩父セメント(現:太平洋セメント)

これはほんの一部にすぎない。渋沢栄一、おそるべしである。

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「建設の匠」編集部
「建設の匠」編集部
「建設の匠」編集部の中の人。ひとりで取材したり記事を書いたり写真を撮ったりしております。ツイッターは@KensetsuTAKUMI、フェイスブックは@kensetsutakumi2018。
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