焼失した沖縄のシンボル・首里城の木造再建のために必要な“匠の技”

炎上する首里城を見て思わず叫び声をあげてしまった――。そんな人は多いのではないだろうか。
2019年10月31日未明、首里城の木造建築群が焼失した。沖縄県民をはじめ多くの人々が悲しみに暮れる中、着々と首里城再建への計画が進められている。しかし、そこには乗り越えるべきいくつもの課題がある。沖縄のシンボルを復元させるため、いったいなにが必要なのだろうか。
沖縄のシンボル、首里城
沖縄県那覇市首里当蔵町3-1にある首里城は、琉球王国の歴史を語るのに不可欠な存在だ。那覇港を見下ろせる小高い丘の上のお城は琉球王国の政治や文化、あるいは信仰の中心であり、琉球独自の文化を育んでいった。
美しい朱塗りの城郭建築は中国の影響が強いと思われがちだが、日本の建築文化の影響も受けている。弓なりのカーブを描いた屋根中央部分の「唐玻豊(からはふう)」は、純和風建築の城郭や社寺建築に見られる「唐破風(からはふ)」と同じだ。
正殿は1992年に竣工した地上3階建ての木造建築だ。発注・設計は沖縄開発庁沖縄総合事務局、施工は伝統建築に定評のある清水建設と地元の國場組である。1994年にはBCS賞に輝き、2000年には首里城跡が「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録された。
そんな沖縄のシンボルであった首里城。しかし、先の火災によって、正殿、南殿、書院・鎖之間(さすのま)、黄金御殿(くがにうどぅん)、二階御殿、奉神門の7棟が被害に遭った。骨組みがむき出しになり、見るも無残な姿となっている。残念ながら出火原因も不明のままだ。
首里城の焼失・復元の歴史
14世紀 | 首里城創建 |
1453年 | 「志魯・布里の乱」により、首里城全焼 |
1660年 | 首里城焼失 |
1672年 | 首里城再建 |
1709年 | 首里城焼失 |
1712年 | 首里城再建(1715年に完了) |
1945年 | 沖縄戦により首里城焼失 |
1957年 | 園比屋武御嶽石門を復元 |
1958年 | 守礼門を復元 |
1968年 | 円覚寺総門、弁財天堂を復元 |
1974年 | 歓会門の復元竣工 |
1977年 | 玉陵の復元竣工 |
1984年 | 久慶門の復元竣工 |
1989年 | 首里城正殿の復元工事に着手。南殿・番所、北殿、奉神門等の復元工事も着手 |
2019年 | 首里城正殿、北殿、南殿、書院・鎖之間、黄金御殿、二階御殿、奉神門が火災により焼失 |
祖父が平成4年に清水建設の総監督として復元させた首里城が全焼。
信じられないし、言葉が出ない。
同居している祖父も夢物語みたいな喪失感って言ってて😢
もう一度見たかった。
自宅にある復元の記念に祖父が受け取った、正殿と同じ装飾は今となっては国宝ですね。#首里城 #首里城火災 pic.twitter.com/BAJeLP7Qqy
— ryusei (@oxnard928) October 31, 2019

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