【戦後インフラ整備70年物語】黒部第四ダム建設時の知られざるエピソード

取材協力/建設コンサルタンツ協会 インフラストラクチャー研究所
去る9月より、戦後の復興と高度経済成長を支えたインフラ整備に直接的・間接的に携わった技術者が、その意義や役割を社会に発信するために、建設コンサルタンツ協会が企画した連続講演会「インフラ整備70年講演会~戦後の代表的な100プロジェクト~」がはじまった。
記念すべき第1回テーマは、「社運を賭けて人跡未踏の秘境黒部に築造した水力発電ダム~黒部川第四発電所~」である。吉津洋一氏(元関西電力水力事業本部副事業本部長/現ニュージェック常務)、大田 弘氏(元熊谷組代表取締役社長/現社友)、小野俊雄氏(元安藤ハザマ代表取締役社長/現会長)の3人が、語り部として登壇。はたして、どんな内容だったのか?
太田垣関電社長の鶴の一声
まず登壇したのは、発注者である元関西電力の吉津氏。明治以前は人跡未踏の土地であった黒部の自然環境の厳しさを紹介。そして昭和の戦後復興期ゆえ、電力不足が深刻化しており、電力使用制限や輪番停電が日常茶飯事だったという時代背景を解説した。

黒部ダムの計画・設計・運用について語る吉津洋一氏(元関西電力水力事業本部副事業本部長)。
そんな中で、当時の太田垣士郎関西電力初代社長は、「経営者が10 割の自信を持って取りかかる事業など仕事のうちに入らない。7割成功の見通しがあったら勇断を持って実行する。それでなければ本当の事業はやれるものではない。全員一致団結のもと何がなんでも決めた日に決めた電力を送電せよ!」と大号令を下したのだという。
かくして5つの工区に分けられてはじまった工事は、それぞれに各分野のエキスパート企業が参画することになった。

工事は全5工区。各分野におけるトップランナーたちが結集した。
総工費はおよそ513 億円と、当時の関西電力の資本金の約5倍である。その約4分の1は世界銀行の融資を受けて、開発が進められた。
設計時、「日本人技術者だけでは設計は難しいだろう」と、世界銀行のあっせんもあって、イタリアのセメンツァ博士と技術提携した。セメンツァ博士はエレクトロ・コンサルタント社をつくって骨組み設計、大型模型実験などを担当し、関西電力はダム基礎地質調査等のフィールドワーク、小型模型実験などを担当。やがてダムの設計が進み、地形・地質が分かるにつれて、堤高186mを誇る日本最大のドーム型アーチダムの姿が浮かび上がってきた。

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