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【戦後インフラ整備70年物語】京阪電鉄の都心部延伸計画はいかにして行われたか

【戦後インフラ整備70年物語】京阪電鉄の都心部延伸計画はいかにして行われたか

連続講演会「インフラ整備70年講演会~戦後の代表的な100プロジェクト~」(主催:建設コンサルタンツ協会)の第3回は「大阪と京都の都心部での鉄道延伸事業」だ。その主役は、「京阪のる人、おけいはん」でおなじみの京阪電車。京都と大阪を結ぶ、関西私鉄の雄である。

1910年の天満橋(大阪)-五条大橋東詰(京都)間開通以降、大阪と京都の都心部において大規模な延伸プロジェクトが行われてきたが、今回は次の3つのプロジェクトに関するエピソードが語られた。

  1. 淀屋橋延長線による大阪都心部への結節(1963年開業)
  2. 京都鴨東(おうとう)線延伸による京都市内の都市機能向上(1989年開業)
  3. 中之島線整備による大阪市内の東西軸の強化(2008年開業)

45年にわたる延伸事業。レジェンドたちの苦労はいかなるものだったのだろうか――。


京阪電鉄延伸は紆余曲折の歴史だった

まず京阪ホールディングス株式会社客員の金馬昭郎氏が登壇し、京阪電鉄の歩んできた歴史を紹介した。金馬氏は1951年に入社、土木技術者として数々の大規模プロジェクトに携わってきた生き証人だ。

京阪電気鉄道元代表取締役社⻑の金馬昭郎氏。

明治政府が日本の近代化を目指して推し進めた官設鉄道は、1889 年に東海道線全線(新橋-神戸間)が開業し、ひとまずは一区切りを迎えた。その後の鉄道建設は、民間へと移行していく。

1906年創立の京阪電気鉄道が目指したのは、京都と大阪の都心を結ぶ路線である。まずは1910年4月15日に天満橋(大阪)-五条大橋東詰(京都)間が開通した。

実は1906年に「起点は高麗橋詰町(大阪)から」という特許状・命令書が下付されていたのだが、大阪市が「市内交通は市で賄う」という意向を明らかにしたため、起点を天満橋に後退させることになったのだという。かたや京都では、京都市が五条-三条間の営業を有償で認めたため、1915年、終点が三条まで延伸することになった。

鉄道の幕開け時代においては、「誰が」都心部の路線を担うのかがキーポイントだったという。都心部への進出は私鉄にとっても鍵となる事業である。しかし、京都市や大阪市が市内交通を計画する中で、京阪電鉄もさまざまな計画の変更を余儀なくされたのだった。

その後、大阪では京阪が創業からの念願であった都心・市内交通へと結節する天満橋から淀屋橋へ延伸。さらに中之島へと延伸され、大阪市内中心部の東西を結ぶ路線が完成した。

京都では七条-三条間の連続立体交差工事が京都市の都市計画事業として行われたため、三条-出町柳間の延伸は地下線方式で実施され、1989年、京都市中心部と洛北が結ばれることになったのである。

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「建設の匠」編集部
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