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【戦後インフラ整備70年物語】渡良瀬遊水地――喪失と相克、そして再生へ

【戦後インフラ整備70年物語】渡良瀬遊水地――喪失と相克、そして再生へ

茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県のそれぞれの端にまたがる場所にある、渡良瀬遊水地。上野駅から電車で約1時間、東京都心からさほど遠くない土地でありながら、本州内陸部では国内最大級のヨシ原を持ち、その大半がラムサール条約に登録されている湿地だ。

この地は沖積期全体をつうじて洪水多発地であり、浅間山噴火でその傾向をつよめた。近代化に驀進する明治時代、たび重なる大洪水と足尾銅山の鉱毒被害がかさなり、さらに洪水調節、公害問題解決、地域の合併廃村などさまざまな歴史を経て、いまや首都圏を水害から守る遊水地となった。いまは“ハート型の池”がある地としても脚光を浴びている。

連続講演会「インフラ整備70年講演会~戦後の代表的な100プロジェクト~」(主催:建設コンサルタンツ協会)の第5回は、この渡良瀬遊水地関連事業の歴史である。

取材協力/建設コンサルタンツ協会 インフラストラクチャー研究所

渡良瀬遊水地の風土と歴史

渡良瀬遊水地が位置する湿地帯は、縄文時代の遺跡も数多く存在し、江戸時代には5つの国(上野、下野、日立、下総、武蔵)を結ぶ関東水上交通網の大交差点になるなど、長い歴史を持つ地域である。

東京工業大学名誉教授の中村良夫氏は、渡良瀬遊水地に接する茨城県古河市で育った。この大湿地帯には独特の方言、食文化、沼を中心とした民間信仰があり、たび重なる水害の記憶を共有している“湿地文化圏”があった、と語る。中村氏は「トンボ、セミ、ヘビ、カエルなどの小さな生き物がよく家に遊びに来て、この“小さな妖精たち”と遊ぶのに忙しかった」と幼き日を振り返った。

中村良夫氏(東京工業大学名誉教授)

しかし30年後には、湿気は失われ大地が干からびてしまう。沼も、小川も、森も、一度は消滅した。そんな遊水地が風土としてどのような場所であったかを解読し、どういった姿であるべきかという検証を行い、湿地性文化拠点の思いを継承した事業がはじまった。

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「建設の匠」編集部
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「建設の匠」編集部の中の人。ひとりで取材したり記事を書いたり写真を撮ったりしております。ツイッターは@KensetsuTAKUMI、フェイスブックは@kensetsutakumi2018。
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