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【戦後インフラ整備70年物語】渡良瀬遊水地――喪失と相克、そして再生へ

【戦後インフラ整備70年物語】渡良瀬遊水地――喪失と相克、そして再生へ

模索の明治時代ー水害常襲地帯と足尾銅山鉱毒事件

歴史を振り返ったのは、建設産業史研究会代表の松浦茂樹氏。松浦氏によれば、渡良瀬遊水地は谷中村を中心に築造された。谷中村は現在のハート形の貯水池あたりに存在した村である。天明3年に浅間山が大噴火し、利根川が上昇したことにより谷中村の排水状況が悪化し、水害常襲地帯の様相をつよめた。

地理的に見ると、谷中村は渡良瀬川支川思川の最下流部にあり、洪水は複数の川から流れ込んでいた。近代改修以前、渡良瀬川、思川は複雑に蛇⾏して いる。これは、下流にある古河城を守るためで、古河の洪⽔被害をできるだけ防ぐための治⽔である。利根川からの逆流が起きることもあり、⾕中村⼀帯はとにかく⽔が集まってしまう地で、ひろく湿地が広がっていた。

さらに谷中村を守る周囲堤は「論所堤(ろんじょてい)」である。もし、谷中村の周囲堤を高くすると、周囲の村に水が流れ込むことになる。そのため周辺地域の同意がなければ堤を整備できない。政治的にも、谷中村の立場は弱かった。谷中村は1880年代に何度も陳情を重ねて排水ポンプを設置し、さらに周囲堤改修も計画していたが下流地域の反対が激しく、実現しなかった。

そこに、足尾銅山の鉱毒問題が加わった。⾜尾銅⼭からの銅を含んだ廃鉱が洪⽔によって下流に押し出され、⽥畑に氾濫・堆積して被害が発⽣していた。被害は、渡良瀬川の氾濫地域で発生したが、被害民は「鉱毒洪⽔合成被害」ととらえた。「洪⽔氾濫がなければ鉱毒被害も⽣じない」と認識していた。

渡良瀬川の大出水のたびに被害は深刻となり、やがて鉱毒被害⺠による東京押出し(請願運動)が行われた。1900年、第4回東京押出しで官隊と被害民が衝突した川俣事件が発生したが、被害民の請願は渡良瀬川改修であった。そのとき帝国議会では、利根川改修が審議されていた。この後、⽥中正造による天皇直訴など⼤きな動きがあったが、政府により改修計画が検討されていった。

谷中村治水問題の解決も含めて改修計画が策定され、遊水地が築造されていった。通説では「鉱毒被害を拡⼤させないために⾕中村を廃し、遊⽔地をつくった」とされているが、「それは短絡的な表現だ」と松浦氏は指摘する。谷中村では、江⼾時代以来繰り返される⽔害が主な問題であり、利根川との関係もふくめて遊水地とされていったのだ、と松浦⽒は語った。

松浦茂樹氏(建設産業史研究会代表)

ともあれ、一帯を遊水地とする治水計画は、2つの問題を解決するための事業だったのだ。

治水・利水から自然保全へ―戦後の多目的運用

戦後の渡良瀬遊水地では、治水・利水問題に引き続き、新たに水質問題が発生する。自然環境への関心が高まる時代となり、新しい開発計画、調節池事業が生まれたのである。

1947年、カスリーン台風が上陸し、戦後最大の洪水をもたらした。渡良瀬遊水地整備後には一定の治水効果を出していたものの、この巨大台風の前にはなすすべなく、多くの堤防決壊が起こったという。そこで1973年に囲繞堤(いぎょうてい)を設置、より大きな洪水にも対応することが可能となった。

1976年からは貯水池事業が開始。高度経済成長期、首都圏では水事情が悪く、毎年のように渇水が発生していた。そこで利根川上流のダム湖と合わせての対策が求められたのだった。

完成した渡良瀬遊水地は、山手線内北半分とほぼ同じ大きさの3300m²、洪水調節容量が1億7600㎥、利水容量は2640万㎥という日本最大の遊水地となった。ちなみに利根川最上流にある八木沢ダムの貯水容量は1万7580㎥。渡良瀬遊水地は平地にありながら、それに匹敵する貯水容量を持っているのだ。利根川の洪水調節などの治水上、きわめて重要かつ貴重な存在となった。

出水時の渡良瀬貯水池(2017年10月24日撮影、国土交通省関東地方整備局利根川上流河川事務所HPより引用)

さらに時代が進み、観光開発をしながらレクリエーション機能をもたせようという動きが出てくる。1988年には関係4県2市4町と建設省による「アクリメーションランド構想」(acclimation=環境への順応)が生まれた。いま現在の遊水地は、ほぼこの構想を基本にして開発されている。

90年代に入るといっそうの水質改善が求められ、自然保護運動も盛んになった。そんな中、行政と住民がさまざまな対話を持つ機会が増え、2000年には自然保全と自然を生かしたグランドデザインがつくられたのである。

2010年には渡良瀬遊水地湿地保全・再生基本計画が策定された。新たに第2調節池を掘削して湿地を再生、治水容量の向上をはかる計画である。この計画においては、掘削土砂をそのまま利根川の築堤に活用。環境と治水の両方を達成する画期的かつ珍しいケースだ。

「ひと昔前であれば、工事現場に重機が走り回っていると『環境破壊だ!』と批判されたものでした。しかし渡良瀬遊水地では、かつて存在した湿地の自然が、工事によって再生しているんです」

三橋さゆり氏(国土交通省利根川上流河川事務所長)

国土交通省の三橋さゆり氏は笑顔でそう語る。

再生した湿地の自然によって植生が豊かになり、水鳥が帰ってくる。その次のステップはラムサール条約登録である。ラムサール条約は水鳥の生息地としてだけではなく、生活を支える重要な生態系として湿地の保全・再生という目的があり、渡良瀬遊水地はヨシ原の利用や掘削事業も含めて2012年に登録された。

いまや渡良瀬遊水池には、絶滅危惧種60種を含む貴重な植物や野鳥が266種(絶滅危惧種44種を含む)が棲息する。伝統的なヨシ焼きには多くの観光客が訪れる風物詩にもなっている(2019年は3月16日予定)。トキやコウノトリが飛来する「関東エコロジカルネットワーク構想」も進められていて、2018年2月にはコウノトリが飛来し、渡良瀬の地で巣を作って滞在しているという。

飛来するコウノトリ(写真はイメージです)。(写真/PIXTA)

多くの自治体の“はしっこ”が接する渡良瀬遊水地だが、各自治体が工夫を凝らし、協力・連携してユニークな“辺境”を作り出している。

 
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「建設の匠」編集部
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「建設の匠」編集部の中の人。ひとりで取材したり記事を書いたり写真を撮ったりしております。ツイッターは@KensetsuTAKUMI、フェイスブックは@kensetsutakumi2018。
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