【戦後インフラ整備70年物語】渡良瀬遊水地――喪失と相克、そして再生へ

遊水文化圏の再生―古河公方公園の生成
古河市の鴻巣は、万葉集に詠まれるほどに歴史を持つ地である。1455年、足利成氏が初代古河公方となって以来、5代130年にわたって関東以北を管轄していた。古河は5国が接する「扇の要」であり水陸交通運輸の要衝でもあり、15世紀には“東都”と呼ばれ、長く文化の拠点でもあった。
しかし渡良瀬川改修工事によって古河城の主要部分は消滅し、歴史を育んだ地相空間は喪失。さらに戦後の食糧増産で行われた1952年の干拓事業によって、御所沼も消滅してしまった。
皮肉にも1970年には減反政策が発表され、その直後、1972年に古河総合(史跡)公園基本構想計画が持ち上がる。1989年に基本計画の見直され、御所沼復元が決定。1992年に着工した。
当初、御所沼の復元には否定的な意見もあったそうだが、「古河公方館址とそれを取り囲む沼の地相こそが、歴史の証人だ」という中村良夫氏の発言を契機に議論はまとまり、ふるさとの情景である沼や湿地が甦ったのだ。

野中健司氏(元古河市建設部長)
驚くべきことに、沼が復活すると、干拓前の自然環境があっというまに戻った――野中氏は感慨深げに振り返った。
公園内には歴史と自然を合わせて体感できるようにデザインされ、いまでは多くの家族連れが訪れる「コミュニティリゾート」となっている。さらに都市公園としてよりよく機能していくために、行政と市民の合同運営を目指してパークマスター制度や円卓会議、コモンズ化などユニークな取り組みが行われている。(コモンズ化の詳細はこちら)
使うことは創造―古河公方公園の整備と遊水効果
そんな古河公方公園整備にあたっては、非常に複雑かつ幅広い専門性が要求されることとなった。その基本設計と実施設計を担ったのが、総合コンサルタントの建設技術研究所。その岡村幸二氏が講演した。

岡村幸二氏(建設技術研究所)。
古河公方公園は、渡良瀬川の堤防から300m離れた場所に位置し、一帯は台地と低地が入り組んでいる。
公園整備のコンセプトは次のようなものだ。
- 御所沼とその環境文化の復元
- 生活史と古典空間としての微地形の保存
- 多元的社交空間の創出
1では公園整備によって水辺生態系を復元し、かつて御所沼周辺に育まれた生活文化を取り戻す。2では公方館のあった台地をそのまま残し、御所沼の水辺に小水路や入り江、浅瀬といった複雑で多様な環境を再現する。そして3では、人工的な池ではなく、古代から歴史を育んできた御所沼を復活させて、人と自然の社交空間を作り出すことを目指したのだという。
復元のための造成では、水路を整備して深浅をつけたり、築山をランダムに配置して流れを変えたり、ポンプアップや暗渠の設置によって、汚水が御所沼に流入しない工夫をこらしたりしながら、沼の周辺の水網ネットワークが整備された。
植栽は干拓以前の自然環境を復元しながら、江戸時代に桃の名所として知られていたことから「矢口・源平・菊桃・寿星桃・寒白桃」の5種類の花桃が植えられて、観光拠点としての役割も復活。

古河公方公園の池と梅。
公園内の水辺には流水・落水、静水などさまざまな表情を作り出している。さらに台風などによる増水対策として、約4万㎥の遊水機能も備えている。
子供たちが安全に遊べる自然の水辺もつくられ、さらに田んぼまで整備。里山環境の保全と市民の参加を実現している。興味深いことに、ランドスケープには土木資材が使われている。六脚ブロックや連節ブロック、土管といった建設業界ではおなじみの資材が飛び石などに使われており、子供たちがそれでのびのびと遊んでいる。

古河公方公園の御所沼で遊ぶ子供たち。
「メーカーさんに見積り時、『中空三角ブロック=“○個”』とお願いしたら、(その量のあまりの少なさに)呆れられました。通常、海岸で使う消波ブロックの100分の1の量ですからね(笑)」と岡村氏は当時の裏側を語った。
古河公方公園の整備においては、「古いものの継承」も重要としながら、市民が参加しやすく、新しいアクティビティも行える公園であるように工夫されている。「使うことが創造」であり、それによって湿地文化が継承されていくという考え方だ。毎年、3月から4月にかけて開催される古河桃まつりには10万人以上が来場するなど、年間を通して30万人以上が訪れる都市公園となっている。
大水害や公害という歴史を抱え、幾度も埋め立てられてきた渡良瀬遊水地。「渡良瀬遊水地と周辺の湿地文化圏には、国家の使命感と市民の情念が複雑に絡み合ってきた。この神話的歴史を引き継ぎながら、信仰文化、食文化など豊かな湿地文化をいかしつつ、未来の市民的コモンズを県境に作っていきたい」と中村氏は語った。遊水地事業でも公園整備事業でも、常に市民の参加があった。それは意思決定への参加だけでなく、「使う」という参加である。
その参加が、渡良瀬の湿り気のあるストーリーをつくりあげていったのだ。

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