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【戦後インフラ整備70年物語】国鉄“五方面作戦”で首都圏を通勤地獄から救え

【戦後インフラ整備70年物語】国鉄“五方面作戦”で首都圏を通勤地獄から救え

2019年現在でも、首都圏の通勤ラッシュは世界的に見てもすさまじい。きょうも朝から大混雑の電車で出勤するのかと思うだけで、げんなりする方も多いだろう。

この地獄のような通勤ラッシュがはじまったのは、1950年代のことだ。

そのさまは、映画『ボヘミアン・ラプソディ』で話題となったクイーンが1982年に発表した曲「Under Pressure」(デビッド・ボウイとの共作)のミュージックビデオの冒頭に使われるほど、異様な光景だった。

この通勤地獄を解消すべく、混雑緩和と輸送の安全確保を目指したのが通勤輸送改善計画、通称“五方面作戦”だ。現在のJRがまだ日本国有鉄道(以下、国鉄)だった1965年に、東海道線・中央線・東北線・常磐線・総武線の5方面で開始。1980年に完成した。1兆3500億円(1980年での価格換算)を賭けた大事業である。その内容は次のように多岐にわたっていた――。

・複々線化

・別線整備

・連続立体交差化

・分離(貨物線と旅客線の分離、快速列車と緩行列車の分離、中距離列車と近距離列車の分離、道路との分離)

・地下鉄との相互直通化と統合

・貨物の都心迂回路整備

連続講演会「インフラ整備70年講演会~戦後の代表的な100プロジェクト~」(主催:建設コンサルタンツ協会)の第6回は、国鉄の五方面作戦をお届けする。

取材協力/建設コンサルタンツ協会 インフラストラクチャー研究所

五方面作戦の全貌

終戦から1960年代にかけて、首都圏の人口は爆発的に増加した。1956年に「もはや戦後ではない」と宣言され高度経済成長に向かっていく時代である。特に60年代は東京周辺の千葉、埼玉、神奈川で増加し、通勤ラッシュの乗車率は254%。ホームでは「押し屋」と呼ばれる駅員が乗客を押しこんだり剥ぎ取ったりしていた。

そこで抜本的な輸送改革を図るために1964年に決まったのが“五方面作戦”である。ちょうどその年に国鉄に入社した山本卓朗氏(元・土木学会会長)は、「自分も含め、全国から若い技術者が東京に集められた」と当時を振り返った。

高度経済成長とともに都心の土地が高騰し、人々の住まいは郊外へと拡がり、ますます列車は混雑するようになる。死者100名を超える重大な鉄道事故も起こっていた。多くの乗客を運ぶための過密なダイヤ、線路容量ぎりぎりの列車編成、そしてスピードアップさせたことが原因となっていた。第五代国鉄総裁の石田禮助は、国会答弁でこう述べたという。

「現在、われわれが解決しなければならぬものは、通勤通学のあの交通地獄をどうするか、さらに幹線の過密ダイヤをどうするか、その間に処して輸送の安全をどうするか、という問題だ」

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「建設の匠」編集部
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「建設の匠」編集部の中の人。ひとりで取材したり記事を書いたり写真を撮ったりしております。ツイッターは@KensetsuTAKUMI、フェイスブックは@kensetsutakumi2018。
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