【戦後インフラ整備70年物語】国鉄“五方面作戦”で首都圏を通勤地獄から救え

踏切解消と都心スルー
こうして始まった五方面作戦の内容はというと、混雑緩和に向けた線路増設による輸送力増強と立体交差化による踏
立体交差化は、高架化・地下化・単独立体化などを行い、駅前広場や幹線道路の整備を進めて都市交通を整え、鉄道によって分断されていた市街地の一体化を図った。都心スルーではターミナル駅の混雑を緩和するために地下鉄乗り入れを行い、分岐・バイパス・ターミナル貫通の3つの形で実施された。
たとえば中央線では三鷹-中野間を複々線化し、国鉄は中央線の東京駅から三鷹にかけては快速化する計画が立てられた。しかし、沿線住民からは「改悪だ」と反対が激しかったという。
そこで中野まで来ていた総武線の緩行電車を三鷹まで延長運転とし、その後、中央特快が走ることになった。踏切43カ所も解消し、現在はひとつも残っていない。都心スルーでは、地下鉄東西線が乗り入れ、混雑率は中野-新宿間で289%から250%、平井-亀戸間で307%から257%に低下した。
輸送力は1965年と1980年で比べると、東海道線で1.4倍、中央線1.7倍、東北線1.4倍、常磐線2.2倍、総武線で1.4倍に増加した。しかし、人口も増え続けたために、輸送量は1965年で1時間当たり50万人を運んでいたものが、80年には70万人に膨れ上がり、混雑率は横ばいの241%であった。
当初、2500億円の予定だった工事費は、オイルショックによる物価高騰や高架化、河川改修など負担が大きく、また騒音など環境保全対策が増えたことで完成時には4100億円に膨れ上がった。また、60年安保にはじまり、四大公害闘争、東大紛争、上尾事件が起き、さらに75年には国鉄スト権ストも。まさに「闘争の時代」だった。五方面作戦の工事が進む中でも、住民の激しい反対運動により闘争となる事態も多くあったそうだ。
都市圏での大規模事業を支えた最新技術
こうした大事業は、当時の最先端技術が支えていた、と山本氏は言う。
特に総武線での鉄骨構造による大規模地下駅の新設やアンダーピニング、常磐線の線路直上での鋼-コンクリート合成構造の高架橋構築、東北線での複線PC下路桁の長大橋梁架設は、技術革新あって成し得た工事であった。
国鉄、JRで五方面作戦とともに歩んできた山本氏は、
「私が就職を考えていた頃、新幹線と名神高速道路が開通しました。大学の恩師は『これからはハイウェーの時代だ、鉄道に未来はない。道路公団に行きなさい』と言われましたが、私は国鉄に入りました。いま思えば、恩師が正しかったのは国鉄は潰れてしまったこと。しかし違っていたのは、鉄道が生き残ったこと。JRとともに、生き残っています」
と話を締めくくった。

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