【戦後インフラ整備70年物語】国鉄“五方面作戦”で首都圏を通勤地獄から救え

五方面作戦のDNAを引き継いで
その後も人口は増え続け、1980年の混雑率は250%と高いままであった。加えて開発が進む副都心方面への直通ニーズ
そこで国鉄は五方面作戦以降の新たな輸送改善施策として、「開発
結果として実現したのが埼京線(1985年)、京葉線(1990年)、つくばエクスプレス(2005年)、上野東京ライン(2015年)である。
JR東日本東京工事事務所開発調査室長の正能俊輔氏は、「これらの事業は五方面作戦のDNAを引き継いで実現したプロジェクトだ」と紹介した。
増加し続ける首都圏の人々を運び続ける鉄道。JRは1960年から90年にかけて輸送力を3倍にアップし、私鉄各社を圧倒していた。現在までに、私鉄各社もさまざまな事業によって、輸送力も輸送スピードもアップさせている。こうした鉄道インフラがつくりあげたのが“掌上都市構造”としての首都圏だ。
下図を見ると、鉄道の路線に沿って都市が形づくられ拡がっていることが分かるだろう。
さて、五方面作戦は、設備投資としては妥当だったのだろうか?
「五方面作戦は放漫経営の産物で、後に民営化するまで負った負債をつくりだした原因である」という批判もあった。政策研究大学院大学教授の家田 仁氏(元・国鉄)は、70年代から90年代に発表された論文を紹介しながら、この赤字は将来の黒字への投資になり得たし、五方面作戦がなければ増加した人々を運ぶことができず、国鉄は収入を失い、やはり長期的には妥当な投資だったと指摘した。
鉄道を身近で便利に、そして快適に使えるようになった五方面作戦は、居住圏を拡大させて首都圏を成長させ、大きな経済効果をもたらした。また、環境/エネルギー親和性の高い世界的規範例となるに至った一方で、混雑対策に追われて、郊外住宅開発や周辺都市形成の大きなビジョンを描くには至らなかったという反省点もある。
「今後、人口減少時代を迎えるにあたって、鉄道インフラ整備をどう進めていくのかが課題になっていくだろう」と家田氏は語った。
首都圏の鉄道史から戦後史が垣間見える
最後に登壇したのは1953年に国鉄に入社、国鉄技師長や日本鉄道建設公団総裁を務めた岡田 宏氏。彼は、終戦直後の通勤・通学列車を振り返りながら、1950年に「電車の初登場が大きかった」と指摘する。
「電車は地盤や線路が弱い日本に合っていて輸送力も高く、朝鮮戦争の影響もあり一気に導入が進んだ。電車導入が毎朝400万人を超える通勤者を都心へ運べる鉄道王国をつくるきっかけとなった」と当時を知る岡田氏は語った。
戦後復興から高度経済成長、闘争、バブル、そして平成不況……。いま、ぎゅうぎゅう詰めの通勤車両で、数分の遅延につい苦い顔をしてしまうわたしたちだけれど、鉄道の歴史を振り返ると、そこにはたしかに戦後史が詰まっているのだ。

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