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難所をつらぬく国道45号線と「3.11」復興の歩み【戦後インフラ整備70年物語】

難所をつらぬく国道45号線と「3.11」復興の歩み【戦後インフラ整備70年物語】

過疎地の人々の生活を変えた道

岩手県田野畑村は宮古市から国道45号線で50㎞北上したところに位置している。村には鵜の巣断崖や北山崎(1960年に国立公園に指定)といった景勝地もある。45年前、共同通信社盛岡支局に赴任した角田光男氏は、先輩記者から「田野畑村は県庁所在地の盛岡から最も時間のかかるところ」と教えられた。標高100~200メートルの丘陵と多くの渓谷(沢)があり、陸の孤島と称されていたのだ。

角田光男氏(東京都市大学非常勤講師、元共同通信社)

田野畑村に行くには交通網も少なく、高低差が激しい道のりが待ち受けていた。同村に赴任することになった役人や教師を「行くか、いや引き返そうか」と思案させた“思案坂”や、さらに職を投げ出して帰らせるほどの過酷な“辞職坂”が続くのである。これほどの難所には当然、医者もなかなか来てくれることはなく、無医村の時期も長かった。

それは国道45号が通ることで解消していった、と角田氏。小中学校の出席率を上昇させ、診療件数も上がっていった。これが、国道45号が“命の道”と言われるゆえんである。

その背景には、過酷な自然条件の中で行われた槇木沢橋、思惟大橋、思案坂大橋という3橋梁の建設があった。

藤島芳男氏(㈱復建技術コンサルタント最高顧問)

藤島氏によると、思案坂、辞職坂という難所を克服するための3橋梁の建設は1960年頃に始まる。最初に建設された槇木沢橋は、谷底105mと、当時日本最高を誇る橋だった。一般国道に昇格した45号を通すべく急ピッチで進められた工事によって、田野畑村に初めての橋が架かり、72年に45号が全線開通した。

そして思惟大橋、三陸沿岸道路に組み込まれた思案坂大橋と続き、田野畑村は陸の孤島ではなくなっていった。3橋梁建設に携わった藤島氏は、現在、建設が進む新思惟大橋を見守りながら、「この橋には国道45号の歴史が詰まっている」と感慨深げに語った。

国道が村を変える――人々に「道路は人を繋げ、生活を良くしていくものだ」という実感を与えたのが国道45号だったのだ。

 
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「建設の匠」編集部
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「建設の匠」編集部の中の人。ひとりで取材したり記事を書いたり写真を撮ったりしております。ツイッターは@KensetsuTAKUMI、フェイスブックは@kensetsutakumi2018。
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