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難所をつらぬく国道45号線と「3.11」復興の歩み【戦後インフラ整備70年物語】

難所をつらぬく国道45号線と「3.11」復興の歩み【戦後インフラ整備70年物語】

絶たれた“命の道”を甦らせるために

2011年3月11日、東日本大震災の地震と津波で大きな被害を受けた国道45号線とその周辺地域。その初動活動として求められるのは、なんといっても道路啓開作業。塞がり、さらに水没している個所もある道路を、自衛隊や医療機関が被災地に入れるようにする作業だ。

「道路・港湾・河川といった各部門に初動活動が求められる、きわめて特殊な事態だった」と徳山日出男氏は振り返る。

徳山日出男氏(政策研究大学院大学客員教授、元国土交通事務次官)

地震発生から30分後、徳山氏は被害確認やメディア対応、本省(国土交通省)との連絡などを指示する。その夜には大畠国交相とのテレビ会議がはじまる。整備局長が直接、大臣に意見具申をするのは前代未聞のできごとだった。

徳山氏は阪神淡路大震災とは違う津波型災害であること、マニュアルにある復旧復興とは違い、自治体を応援していくことの重要性、救援ルート・緊急路として道路と港を開くことなどをメモにまとめた。

テレビ会議で徳山氏はこう報告した。「いま東北全域でこれだけの人員と機動力、通信力を持っているのは東北地方整備局と自衛隊の2つであり、そのおかげでさまざまな要望を受けています。整備局の所管外のこともかなりあるが、『地域の復旧に壁を立てずに尽くせ』という大臣の強い指示を受け、すべてに何らかの形で応えるようにしております」

これに対し、大畠氏は「国交省の所管以外の仕事でも、まずは人命救助を第一に、物資の輸送や仮設住宅の面など増えてくるが、気が付いたことは全部やりきる。ひとりでも多くの命を救出しサポートすることをお願いしている。事務的な手続きについては簡略化してやっていく。被災者の生活支援が第一なので、整備局長の判断でやってもらいたい。事務次官や私への報告は事後で結構なので、国土交通省の代表として臨機応変にやっていただきたい」と応えた。

ハリウッドの映画さながらのやりとりである。徳山氏はこの時、大畠氏が「政治家として腹をくくられた」のだと感じたとか。この会議の模様は全国の国交省組織に送られ、職員全員が同じく奮い立った。こうして、異例づくめの復旧作業がはじまったのだった。

当時、犠牲者の遺体が発見されるも火葬場の多くが被災し、稼働している施設でも燃料がない状況だった。また遺族も家を流され、引き取れない。つまり、いったん土葬するしかない状況だった。しかし泥の中から見つけ出した大切な家族の遺体を、貴重な水で顔を清めたのにまた土の中にそのまま埋めることなどできないと感じた徳山氏は、棺桶を買い付けて手配することにした。

棺桶を買う整備局長など聞いたことがない。そう、手紙にあるように、徳山氏はみずから被災地に対し「ヤミ屋のオヤジ」と名乗り、地域に寄り添った支援を行ったのだ。

復興道路の早期完成に向けて

復興道路・復興支援道路事業を進めるにあたって、縦1本の三陸沿岸道だけでは交通網として脆弱なことが明らかになり、「くしの歯」のように横軸3本の支援道路を建設することとなった。地元からの大きな期待がかかった事業であるが、復興事業は当初は5年と設定されていた。

しかし、これまで三陸道の開通には平均で18年もかかっていた。なんせ道路事業は最後の3年にもっとも費用がかかるもの。徳山氏は「(完成できるか)あぶないな」と感じたという。

そこで自治体の要請や地元の期待と実態をすり合わせるべく、2011年11月に「復興道路会議」が設立され、国交省と自治体が連携して行う「即年着工」が提案される。そのために予算成立(11月21日)より前に公告を出し、予算成立と同時に入札という異例の手段がとられた。また集中復興期間も10年に延長された。

こうした数多の“荒業”により、2018年度末に南部の三陸沿岸道、東北横断自動車道釜石秋田線、相馬福島道路がつながった。2020年度末には全線開通の見込みである。

 
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「建設の匠」編集部
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「建設の匠」編集部の中の人。ひとりで取材したり記事を書いたり写真を撮ったりしております。ツイッターは@KensetsuTAKUMI、フェイスブックは@kensetsutakumi2018。
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