「建機たちの雄姿を記録しなければ……!」建機写真愛好家・小林さんは使命感を抱き古今東西をバイクで駆ける

わずか3歳にして建設機械(以下、建機)の魅力に目覚め、高校生時代からずっと建機の写真を撮り続けている小林親司さん。今ではどのくらいの枚数を撮影したのか、本人も分からないほど。建機の撮影は、もはや小林さんのライフワークだ。貴重な現場写真の数々とともに、“撮り鉄”ならぬ“撮り建”ともいえる半生を振り返っていただいた。

小林親司さん/1968年1月生まれ。愛知県出身。幼少のころより建機の魅力に取りつかれ、16歳から建機の写真撮影を開始。ご自身も建機オペレーターを経験し、現在はフリーの建設機械整備士として活躍する傍ら、今も建機の撮影を続けている。
浅間山荘事件の鉄球によって建機の魅力に開眼
男の子であれば誰しも、幼少期には大きなもの、強いものに憧れる。建機が好きといっても、特別なことではない。
しかし小林さんの場合、それはあまりにも早熟だった。最初に建機に魅力を感じたのは、あの浅間山荘事件。まだ小林さんが3歳の出来事である。巨大なトラッククレーンが、テロリストの隠れ家に向けて鉄球を振る姿は強烈に印象に残ったという。
「TVで見たトラッククレーンは、子ども心にこれはスゴイ! かっこいい! って感じでした。父が電話関係の仕事をしていて、電柱車なんかも所有してましたから、建機への思いはその後もドンドン強くなっていきました」
16歳になったころ、小林さんは父のカメラを譲り受け、建機の写真撮影を始めた。
「近所の河川敷で、ブルドーザを撮影したのが最初でした。気さくなオペレーターさんで、撮影だけではなく、ブルドーザに乗せてもらったのは今もいい思い出です」

小林さんが6歳の頃、近所で稼働していたキャタピラーのブルドーザ。当時のオペレーターは優しく、乗車させてくれた上、操作方法まで教えてくれた。
その後、成長とともに原付免許、普通免許を取得し、バイクやクルマを駆って、現場を巡っては撮影を続けた。高校を卒業すると、重機を取り扱う会社に就職し、整備工として働いた。35歳の時にオペレーターとして別の会社に転職。PC300や220マテハン機など、実際の乗務も経験した。

バブル全盛期、日本全国で大型工事が行われていた。当時、知多半島の干拓現場でD355ブルドーザが、D85スクレーパをプッシュしている迫力ある1枚。
「現場に出入りするトラックドライバーなどが、いろいろと建機の情報を教えてくれるんです。その情報をもとに、晴れた日はバイクで、雨の日はクルマで、いろいろな現場を回っていました。大体土曜の夜に出発して現場近くのコンビニなんかで仮眠。日曜日に撮影という毎日でした。東は青森から西は鳥取まで、1か月に3000kmも走ったこともありました」
小林さんが撮影のターゲットとするのは、古い建機が多い。最近の機械は電子制御が多くて、あまり魅力は感じないのだという。

日立ブルドーザの黎明期を彩った名機T-09。プラモデルになるなど、ポピュラーなモデルだった。

石川島ローレンMC30HAトラッククレーン。石川島ローレンのクレーンには珍しく、油圧式だった。
「建機のなかでもトラッククレーンが好きなんです。でも一番好きなのは、キャタピラーのD8Lブルドーザです。昔の機械はカバーなんかが少なく、エンジンや配管がむき出しなのがいいですね。武骨で、いかにも機械という感じがするところが好きです」
これまで撮影した写真は、今ではその枚数も分からないほど大量だ。それでも、きちんとファイリングされ、整理されている。

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