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「建設業界にこそ“SDGs”を」北海道の工務店・福地建装会長の福地脩悦氏がそう願う理由【前編】

「建設業界にこそ“SDGs”を」北海道の工務店・福地建装会長の福地脩悦氏がそう願う理由【前編】

とび職で学んだ創造性

福地氏は中学卒業後、北海道で鉄骨とび職に就いた。師事した30歳のとび職の親方は、東京タワーも手がけたというほど腕の立つ人物。しかし「吃音が強く、ほとんど話さない人でした」。

だから15歳下の福地氏はひたすら親方に付いて歩いて、やれることをやってみた。うまくやれれば、仏頂面の親方がニコッと笑ってくれる。そこで磨かれたのは、創造性だ。

「とび職にはマニュアルがありません。だから、なにもないところから、ものを創り出すんです。林道に橋を架けるにしても、まずひとりがどうすれば渡れるのか。知恵と工夫を駆使して、ロープ、滑車、それから立ち木を使って、人がひとり渡れるだけの段取りを組む。なにもなければ、それができるんですよ。逆に言えば、その環境に置かれなければ、それはできない。でもそれをやらなければ、ただの地下足袋洗いの下積みのまま年を取る」

この際のモチベーションは、「腕を上げてお金を稼ごう」ではなかった。目の前のことをいかに効率よく、うまくやるか。それに集中して仕事を進めていたら、19歳の頃には10人規模のグループを率いるまでに。22歳の時、親方が「独立しなさい。ただ、北海道では甘えが出るからダメだ。東京に行きなさい」と言われた。だからと言って東京の誰か紹介してくれるわけでもなく、単身上京する羽目に。

当時は建設ラッシュ。「ビル一棟建てればいくら」という時代、仕事はたくさんあった。実姉から借りた15万円(当時)を資本金に、ひたすら仕事に邁進する日々。事業は順調に大きくなった。しかし、下請けや孫請け仕事が多い現状に福地氏のクリエイティビティは満足しなかった。そこで1977年、郷里で住宅建築業を立ち上げる。

「最初の仕事は、自宅を建てることでした(笑)。周囲は木造なのに鉄骨造で、ガラスが多く使われていたり、吹き抜けがあったりで、みんなびっくりして。おかげで仕事がたくさん舞い込みました。『家はデザインで売れるんだな』とその時に認識しました」

ただし、悩みのタネはクレームだった。「押入れの中が結露を起こした」あるいは「寒い」「暑い」など、竣工して引き渡しをした施主からかかってくる電話のほとんどは、対応に費用のかかることばかり。建てれば建てるほどクレームは多くなる一方だ。

我々は国が定める基準書を一生懸命勉強して、研修会にも行って勉強した。基準書に忠実に施工しているし、断熱材の入れ方もマニュアルに書いてあるとおりに行っていたのに……」

つまりは、「断熱材にはグラスウールを用いよ」とされている国の断熱基準に問題があったということだ。

「家の中の空気中の水分量、いわゆる『絶対湿度』が1平方メートルあたり5~6グラムで推移するのが一番望ましい。その湿度管理の概念は、これまでの日本の住宅にはなかった。ましてやグラスウールでの断熱は、その概念が通じないんですよ。グラスウールって、ふとんですからね。『寒い時にふとんを被ると暖かいから』という考え方だから、『ふとんがなぜ断熱になるのか』には意外とみんな答えられない。ふとんは乾燥かつ静止した空気がたくさん入っていて、それが断熱効果をもたらす構造なんです」

乾燥・静止した空気の扱い方、断熱材のあり方がカギだと気付いた福地氏は、持ち前のクリエイティビティを発揮し、独自に研究をはじめた。

「着想を得たのは、かやぶき屋根でした。梅雨時ならば、かやぶき屋根はかやの中にドラム缶数本分の雨水を溜めます。その雨水は夏場の暑い時に蒸発して、気化熱でもって家が涼しくなる。冬場もこれで乾燥しにくくなる。そうなれば、囲炉裏のような小さな熱源でも家の中が寒くない

茅葺屋根の仕組みをシリカゲルで代用し、冷蔵庫などに使用されていたウレタンの現場発泡スプレー方式の断熱材を導入した。新技術を了解してくれた施主の家で試用させてもらい、数にして50〜60棟ぐらいの実績を積み重ね、福地氏はようやく確信を深める。平成元年、ついに「ファースの家」の完成である。5年後には、日本で初のスプレー発泡工法の評定交付を受けたのだった。

しかし、家を丸ごと樹脂のスプレー発泡で包むような「ファースの家」は、当時の建築界では異端中の異端だった――。

 

 
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「建設の匠」編集部
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「建設の匠」編集部の中の人。ひとりで取材したり記事を書いたり写真を撮ったりしております。ツイッターは@KensetsuTAKUMI、フェイスブックは@kensetsutakumi2018。
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