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川田テクノロジーズ社長・川田忠裕氏は「人間と技術」の可能性を信じ未来を拓く【前編】

川田テクノロジーズ社長・川田忠裕氏は「人間と技術」の可能性を信じ未来を拓く【前編】

突然のトラブル、突然の社⻑就任

2005年5⽉。会社近くのラーメン店で昼⾷を取っていた川⽥⽒(当時航空事業部⻑)は、放映されていたTVニュースに釘づけになった。

「人気の野球選手が何連続ヒットを打ったというニュースが終わると、大手重⼯メーカーと川⽥⼯業に⼈がドドドドドッと⼊っていくシーンが流れたんです。『えっ!』とフリーズしていたら、大手重⼯メーカーと並んで近所の会社が映ったからか、ラーメン店の親⽗さんが『川⽥⼯業さんって、⽴派な会社だったんですねぇ……』と(苦笑)」

いわゆる橋梁談合事件である。川⽥⼯業は経営陣交代を余儀なくされた。そこで、橋梁と無縁だった川⽥⽒が社⻑に選ばれたのだ。

暗い雰囲気に満ちた中で就任した川⽥新社⻑は、社内でどう⾒られていたのか。救世主到来か、はたまた……?「いや、救世主なんてものじゃないですよ。『こんな⼈が社⻑になっちゃって、この会社はどうなっちゃうんだろう?』とみんな困っていたと思う」と苦笑いする。

マイナスからのスタートを切った川⽥⽒の社⻑⼈⽣だが、幸いなのは、彼が良くも悪くも建設業界の慣例を知らないことだ。

「当時、川⽥⼯業は建築事業や鉄構事業も手掛け、グループ内にはソフトウェアの会社や、橋梁のメンテナンス会社もあり、すでにいろいろな事業を展開していた。それもあり、第三者的な視点で『こっちの事業がダメならこちらの事業はどうなの?』というふうに⾒ることができました。

また⾼度経済成⻑期に成⻑したグループなので、そこかしこに“贅⾁”が⾒受けられた。だから『昔からこうやっていたので』ということも『でもそれ、外から⾒るとおかしいですよ』と指摘して改善を促したり、あちこちの⼯場を回って、『これからしばらく⼤変だと思いますけど、みんなで頑張りましょう』と声がけしたりしていました」

改⾰はグループの地⽅事務所の集約化から、上場でかかるランニングコストの⾒直し(親⼦上場の廃⽌)まで、 あらゆることに及んだ。グループの事業環境の悪化というやむにやまれぬ事情があったとはいえ、橋梁の専門家ではない門外漢としての強みと元来の技術屋としての合理的な視点からの改革だった。

そうは⾔っても、「⼈は辞めさせない方針だった」という川⽥⽒。ロボット開発に携わってきた川⽥⽒は、「組織がうまくいっていないなら、それは働いている⼈たちが悪いのではなくて、仕組みが悪いのでは?と常に考えている」というぐらい、実は⼈⼀倍、⼈間思いである。代わりが利くロボットと違い、⼈間はどんな⼈間でも輝ける場所があると考えている。

「当社にいるのは、『なにかすごいことを成し遂げたい、そのために⾃分はこの会社に⼊ったんだ』と⾮常にプライドを⾼く持ってやってきた技術屋なんですよ。また、協力会社のなかには『あんたのじいさんの頃から知っているよ』とか『あなたが⽣まれた時にお祝いのおまんじゅうをいただきました』というような古いお付き合いをしてくださっている⽅がいます。

私も社⻑になった当初、こういった方々からのお話を伺い、『もし当社が失敗したら、社員の後ろにいる奥さんやお⼦さん、取引会社の社⻑さんもその従業員の⽅も、その⽅々の家族も……とすべての⼈にものすごく迷惑をかけてしまう』と強く感じました。結果的に⼀⽣懸命に協力してくださった⽅々のおかげと、近年の事業環境の好転で、いまはまあまあ、いい感じになっているとは思います。

10年前に立ち上げた持株会社の社名を「川⽥テクノロジーズ」としたのも、『新たなグループのカタチになるので、みんなでまた技術の⼒を合わせて、がんばろうよ』と、象徴的な意味合いを込めているんです」

川⽥⽒の号令のもと、川⽥グループは川⽥テクノロジーズを中心として再起動した。匠の技を持つ“⼈間”を⼤切にするために――。

 
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「建設の匠」編集部
「建設の匠」編集部
「建設の匠」編集部の中の人。ひとりで取材したり記事を書いたり写真を撮ったりしております。ツイッターは@KensetsuTAKUMI、フェイスブックは@kensetsutakumi2018。
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