「トンネル切羽の“声”が聞けるのは人間だけ」佐藤工業社長・宮本雅文氏の確信【前編】

なくてはならないところに存在し、誰にも等しく、口を開けて待ってくれている。それがトンネルだ。
でも私たちがそれに意識を向けるのは入る時ぐらいで、それからはあまり気を留めることもなく通り過ぎていく。
トンネルがない世の中なんて、もはや誰にも想像できないのに。
そんなトンネルを掘り続けてきた匠に訊いてみよう。
空前の好況と人材不足というトンネルの先に、建設業界にはどんな未来が待っているのか。
グローバル展開やICT化のトンネルをくぐり抜けた後、見える景色はどんなものなのか。
2018年最後の「ビジョナリー」登場は、佐藤工業社長・宮本雅文氏だ。
橋梁志望者を虜にしたトンネル工事の魅力
「トンネル工事って、毎回の発破ごとに、見える姿が変わるんですよ」
宮本雅文氏は、トンネルの話になると途端に相好を崩した。
「掘っているとだいたい同じ岩質、地質が続くんですが、ひと発破ごとに点検に入ってトンネル先端の切羽(きりは)を見ると、それはまるで赤ん坊の顔のように変わって、にこやかな時もあれば、怒っている時もある。『この山は大丈夫やね』とか『山が苦しんでいるな』とか、なんとなく感じるんですよ。
トンネル工事というひと気のない山の中での作業ですが、草花や蝶などから自然の表情を感じ取り、同時に“危険”も感じられるようになりました。その域に達するのは、3現場目ぐらいですけれどね」
ひとたび語り出すと止まらない。新卒で最初に配属された現場の話になった。
「私はそんなに気にならなかったけれど、当時のトンネル工事の現場は空気が悪いし、暗いし、水は出るし、過酷な条件でした。そんなトンネルが貫通した瞬間に立ち会いました。
感激度は、人生の中で一番高かったですね。ものすごく昂ぶった。発破をかけると、煙がスーッとどちらかに流れていって消える。そこに光がスッと差し込んでくる。まるで日の出と夕日とがすべて一緒になったような感動は、山頂に登った時以上のものがあると私は思っています。……あんまり山登りしたことないけれど(笑)」
発注者も施工者も坑夫さんも、樽酒を割ってがぶ飲みしながら、一緒になって喜びを分かち合う。その現場の空気を肌で感じ、「トンネル工事って悪いもんじゃないな」と感じた宮本氏は、以来28年間、連続してトンネルの現場を渡り歩いた。まさに“トンネルの佐藤”の申し子である。
――とは言いながら、実は橋梁を架けるほうに興味を持っていた、と述懐する宮本氏。大学時代は土木工学科で橋梁の勉強をしていた。卒業は1974年、折しも田中角栄の日本列島改造論がぶち上げられ、日本中でインフラ整備が盛んに行われている頃だ。
「これからの世の中は建設業だ、土木だ」と考えていた若かりし頃の宮本青年にとって、就職先はどの建設会社でもよかった。縁あって佐藤工業から声がかかり、「当時、グループ会社に橋梁部門もあるし」という軽い考えで入社を決めたのだという。それからトンネルにハマった経緯は、前述の通りである。
「そんなに詳しく調べずに入っちゃって」と宮本氏は屈託なく笑う。率直さと正直さが魅力的な人、というのが第一印象だ。

RECOMMEND編集部おすすめの記事
-
【橋脚崩壊】阪神・淡路大震災のダメージから阪神高速道路はいかにしてよみがえったのか【インフラ復旧】 66 2.8K
-
建設業界のイノベーター・助太刀CEOの我妻陽一氏は「『業界をぶっ壊す!』ではうまくいかない」と堅実に歩を進める【前編】 210 3.6K
-
【みんなで考えるオープンデスク】フリーランチ代表 納見健悟さんは「労働法で考えれば未来は開ける」と提案する 95 2.7K
-
【建設×障害】「パーフェクトワールド」モチーフの車いす建築士が障害を抱えてはじめて得た“視点” 19 2.8K
-
川田テクノロジーズ社長・川田忠裕氏は「人間と技術」の可能性を信じ未来を拓く【前編】 57 3.4K
-
難所をつらぬく国道45号線と「3.11」復興の歩み【戦後インフラ整備70年物語】 17 1.1K