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  • 建設論評・のど元を過ぎぬ間に

     クラスター対応の効果如何(いかん)は初期作動の是非にある。それは、初期作動のよろしきを得た国々の実態を見れば明らかである。

     

     だから、初期作動に後れを取った挙句、後知恵を示されても意味がないのである。

     

     その例が、過去の文献を掘り起こして講釈をして見せている識者の姿である。

     

     曰(いわ)く、江戸時代末期の享和年間(1801-04年)の疫病流行時に、作家の式亭三馬が「感染者は味を感じない、回復するまで待つしかない」と書いていたとか、甲州の漢方医の橋本白寿が「3密回避や外出自粛や隔離」を説いていたとか、スペイン風邪が本格化した1918(大正7)年に歌人の与謝野晶子が「なぜ多くの人間の密集する場所の一時休業を命じなかったのか」と新聞に寄稿して世論を喚起していたとか、さまざまな記録や伝聞をメディアを通じて開陳している。

     

     そして、既に昔から往時の碩学(せきがく)の徒は、感染すると味覚や臭覚がなくなることが分かっていたのだとか、「3密」の危険性が分かっていたので3密防止を訴えていたのだと指摘する。また、スペイン風邪による死者の数が関東大震災よりも多かったにもかかわらず、教訓になっていないと批判している。このように、古証文が引っぱり出されてうんちくを聞かされる原因は、当時の経験が教訓として残らなかったからだ。

     

     その一方、関東大震災の教訓が残ったのは、震災の体験から耐震設計などの思想を生み、建築基準法などの法的な制度が整備されたからだ。

     

     つまり、当時の経験が教訓として残らなかった原因は制度化されなかったことに尽きるのである。なぜに後世のわれわれに対して、当時の経験が警告として伝えられなかったのかといえば、それは、のど元を過ぎたら忘れてしまうからである。

     

     現に、昨春の第1波襲来時の緊急事態宣言直後の人出は4割に減少したが、その後、はるかに大きなクラスターが起きたのに、人出の減少は7割にとどまっているとの調査結果がある。

     

     この災禍の真っただ中ですら、コロナに慣れて防災意識が希薄している証である。これでは教訓は残らないわけである。忘れないようにするには、体験から得た教訓が記憶から消えないうちに、制度化を図ることである。

     

     法律化を図り社会的な体制づくりを行って後世に伝わるように努めてこそ、次に襲来する危機に対して速やかな初期作動が可能になるのである。

     

     実は、この課題を背負うべきは政治家たちなのである。法的に未整備な状態や法律が機能しない時の混乱期や危機時こそ、立法権を持つ国会議員たちの出番なのだ。その時に彼らの真価が問われ、的確な対応が求められるのである。

     

     ところが法律で決めていない問題に直面すると、彼らは仰天して手をこまねき、本質をとらえた柔軟な対処ができずに右往左往する。そして、既存のルールに固執してその枠から出られず、公務員たちを責め立てる。これは、三権分立をはき違えた本末転倒の役割放棄である。

     

     危機に臨んだ国の現状に問題があるならば、その多くは彼らの認識不足に起因すると言ってよい。(康)

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    掲載日: 2021年3月25日 | presented by 建設通信新聞

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