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建設論評・アフターコロナと監視社会
// 本文の表示 画像がセットされていない場合は、画像分の余白ができてしまうのでtxtクラスは使わない。 ログインしていない場合も画像は表示しない。?>世界的に見れば、いまだコロナ禍の被害は収まってはいない。WHO(世界保健機関)もパンデミックは加速しているとの認識である。ウィズコロナの状態から脱することは容易ではないだろう。
その一方、際立って身近になったのが「デジタル社会」という現実である。リモートワークなど、ネットワークを介した企業活動が新たな展開を見せたことは、デジタル社会の持つメリットを最大化するもので、今後の社会活動にも大きく影響することになるだろう。
しかしながらデジタル社会の進化は、メリットばかりではないこともまた確実だ。さまざまな負の側面も考えられる。最も危(き)惧(ぐ)されることは、権力による「情報のコントロール」である。もちろん緊急事態に際しては、状況の把握や適切な処理・対応のために情報を政府などの組織が一元的に掌握することは不可避ではあろう。例えば今回のコロナ禍で、政府が緊急事態宣言を出したことなどはまさにそうした状況であったということである。われわれの「生身の身体」を離れたデータが集積されビッグデータとして取り扱われることは、さまざまな目的に対して有益なデータを提供する可能性はあるが、われわれの行動が逐一監視されるという不快な状況とも紙一重である。いわば、監視社会への傾斜を意味している。
このように、デジタル社会には2つの側面がある。1つは開かれたネットワーク環境を通じて、新たな可能性を開く道である。もう1つが権力に結びついた監視の目である。開かれた環境は、ややもすれば権力と結びついて監視社会へと向かいかねないということでもある。
そして、権力による監視ばかりか、市民相互の監視を生み出しかねないこともデジタル社会における懸念である。「生身の人間」が消失し、人間に付随するデータの価値が重要視される傾向がある。現在でも顔が見えない中、インターネットでは身勝手な発言が飛び交っている。そこでは「自制と批判」の相互関係による信頼は成立しない。批判がなければ自制は効かないが、批判もあまりに過度なものになれば、それもまた混乱を招くことにもなる。そして行き過ぎた批判はともすれば本来の批判の枠を超え、暴力的な相互監視へと容易に転化しうる可能性があるからだ。
情報社会は本質的に、権力由来のものであれ、市民相互のものであれ、常に「監視社会」を内包していることを理解しておく必要がある。
現実社会においては保護主義と各国間の競争が激化している中で、時代に逆行するかのように情報の一元化的な管理を進めようとする動きは今後も続くだろう。グローバル社会の進歩ゆえの矛盾である。
都市や建築は、そうした社会の中でも健全な社会としての秩序を維持し、市民生活・活動の自由を担保する使命がある。そして個人や集団のよりどころとならねばならない。情報の管理=監視の中でも「生身の人間を守る」という役割がなくなることはない。建築家の役割とその使命がまさに問われているのではないだろうか。(児)
残り50%掲載日: 2020年8月21日 | presented by 建設通信新聞