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特別寄稿・次世代を担う都市のデジタル化 ―停滞からの飛躍と都市の未来―/佐藤総合計画社長 細田雅春
// 本文の表示 画像がセットされていない場合は、画像分の余白ができてしまうのでtxtクラスは使わない。 ログインしていない場合も画像は表示しない。?>【後れを取り戻す最後のチャンス】
社会のグローバル化が瀕死の状態にある。
多くの経済学者は「市場の拡大が経済成長を促す」と唱えてきた。その基盤として、世界中を網羅するように張り巡らされたサプライチェーン・システム(分業化)が生産性の向上に寄与するとされてきた。だが、いまその経路が途絶え始めている。新型コロナ禍によってヒトやモノの動きが停滞しているからである。ロックダウンのような都市の活動を止めてしまう事態は、人類の文明の否定にもつながるほどの、未曽有の大事件だったと言えよう。
しかしながら、この「停滞」は今後の飛躍の前触れであると思う。そのかぎを握るのは、デジタル技術の進化である。
いまや重厚長大のモノづくり産業は一気に衰退しつつあると言っても過言ではなかろう。実際に、世界の企業の業績、収益構造が20世紀のそれとは入れ替わるほどの事態が起こり始めている。9月8日の日本経済新聞にそれを如実に表す記事が掲載されていた。主要企業の直近四半期の純利益ランキングが激変したというのである。1位こそ投資家ウォーレン・バフェット氏率いる米国の投資会社バークシャー・ハザウェイだが、日本のソフトバンクグループが2位、米国のアップルとマイクロソフトがそれぞれ3位、4位、そのほか、中国のアリババ集団やテンセント、京東集団などIT企業が上位に食い込んでおり、まさに革新的な変化が起きていると言える。
日本でも同じような事態が起こりつつあるわけだが、いま大事なことはわれわれが住み、暮らし、活動する都市のあり様である。
■融合の時代の新たな幕開け
例えば、ことし5月に法案が成立した「スーパーシティー」構想などが代表的なものとして挙げられるだろう。「スマートシティー」による各分野での技術革新を横断的にまとめようとするものである。その一方で、高度成長期に郊外にスプロール化して広がった都市が、現在の人口減少や高齢化などいわば「社会のシュリンク現象」に対応するために構想されてきたのが「コンパクトシティー」である。しかしながら、コロナによってそうした都市の集約化・近接化・密度化など、都市のコンパクト化の必然性が揺らぎ始めているようにも思われる。
このことは、日本社会のデジタル化が次第に都市の構造にまで及び始めたということなのではないだろうか。
そして冒頭に述べたように、いま新型コロナ禍はヒトやモノの移動を滞らせることで、社会経済活動ばかりでなく、文化的活動までも停滞させている。これは人類始まって以来の出来事なのである。戦争でさえ、ヒトやモノの一切の移動が停止することはなかったのだから。
その意味では、新型コロナによる災禍はこうした未曽有の出来事により、われわれの文明を大きな変曲点に導いたとも言えるだろう。それはまさにデジタル社会への到来とアナログ的社会の融合の時代の新たな幕開けの象徴である。
すなわち、新型コロナによって新しい日常が始まる中、「リモート」による社会活動のあり方も変わり始めている現実である。企業の移転やサテライトオフィスへの分散化、そして自宅での勤務など、さまざまな社会活動が変化していく。それが都市の形にも影響を与えていくことは間違いないだろう。つまりはデジタル社会の進歩が現実の都市の構造にも及び始めたということである。
もちろん、そうしたことによってコンパクトシティーの意義が失われるというわけではない。現実の空間に暮らす人間の存在がなくなるわけではないからである。そして、実際に物理的に対面してコミュニケーションを図っていくことが人間社会のあり方だからである。さらに、モビリティー革命に加え、安全・快適に移動できることも、コンパクトシティーの原点の1つとして重要なことだろう。
その上で「変化する日常」をも受け止めて、この3つの構想は本来は1つに重なると考えることができる。デジタル社会のインフラが都市の新たな構造となり、われわれのライフスタイルばかりでなく社会の活動の様相をも変え、そして都市のあり様も変わるということなのである。
■問われる国、社会のスタンス
われわれは、グローバル社会の中にいる。ヒトやモノが世界を駆け巡る時代である。新型コロナは、そうした動きを一瞬停めてしまったために大騒ぎになったのである。
しかしながら、私はこの「停滞」は一時の問題だと考えている。もちろんこの一時というのが問題なのだが、これはいわば変化する時代に対し、英気を蓄えさらなる高みを目指すためのものであろう。あるいは、江戸時代の鎖国のような状態であるとも言えるのではないか。鎖国下の日本では、外国の動静に左右されることなく極めて高いレベルで人々の感性が開花し、江戸文化という独特な文化が栄えた。そのように、ウィズ・コロナ、アフター・コロナの未来を考える新たな時間と場面を取り戻す機会を与えられたと考えるべきだと思っている。
もちろん過去の歴史に拘泥することなく、デジタル社会に適切に対応するという意味でも、日本のこれからの都市のあり様は極めて重要である。グローバル・デジタル社会の中での国や社会のスタンスが問われているのである。デジタル社会の問題だけではなく、現実の世界に密着した世界との関係を示すことがなければ、単にバーチャル空間に生きる方法だけが宙に浮くことになる。
「スーパーシティー」「スマートシティー」そして変わり始めた「コンパクトシティー」それぞれの構想は、日本がいま世界に向けて発信すべき課題であると同時に、先進的世界に後れを取りつつある日本の現実を見直す最後のチャンスであると考える。
残り50%掲載日: 2020年10月21日 | presented by 建設通信新聞