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  • 特別寄稿 国家を超えるDX -企業がリードするグローバル社会-/佐藤総合計画社長 細田雅春

    【経済重視から一歩踏み出した“資質”が問われている】

     

     「Gゼロ」という言葉をご存知だろうか。Gとは「Group」のことで、G7やG20などのように、先進国や主要国の集まりのことを指すが、それが「ゼロ」であるとは、すなわち世界にはリーダーとしての資格がある国はもはやないということである。米国の政治学者イアン・ブレマー氏が指摘しているとおり、もはや世界の秩序を支配し、コントロールする強大な唯一の覇権国は存在しなくなったということであるが、そうした現実は、われわれの日常生活にも刻々と影響を与えるようになってきているということを認識しなければならない。

     

     20世紀の代表的企業といえば、どのような企業が思い浮かぶだろうか。石油の時代と言われていたように、オイルメジャーであるエクソンモービルや自動車のゼネラル・モーターズなどであろうか。しかしながら、いまやそうした企業には往時の勢いはない。それらの企業に代わって台頭してきたのが米国のGAFAM(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル、マイクロソフト)に代表されるIT企業である。

     

     そうした企業に対し、国家が規制の網をかけようとしている。昨年末から、米国当局がグーグルやフェイスブックなどの企業を反トラスト法(独禁法)に基づいて提訴している。最近ではグーグルが90%を占める米国内の検索シェアを守るために、アップルに働き掛けて他社を締め出し、消費者の自由な選択を制限しているとして訴えられているが、そうした動きは既に2年ほど前から始まっていた。いずれにしても、国が慌てて規制に動き出したことは周知のとおりである。株価で比較してみると、GAFAMの時価総額の合計が、東証一部上場企業の時価総額を上回ったという。わずか5社の株価が、2000社以上が上場する市場全体の株価総額を超える事態が起きているのである。そうした巨大企業は、もはや国家の存在意義と指導力が届かない存在になりつつあるということだろう。しかしながら、こうした民間企業の協調関係はむしろ民間企業の自立とアイデアそのものではないのだろうか。

     

    ■独走抑制する国と逃げようとする企業

     

     中国においても同じような問題は指摘されている。国家的な目標として、製造強国の仲間入りなどを掲げている中国において、指導的なIT企業の育成は国家自身のグローバル戦略のかぎを握る最大の武器であり、そうした企業を統制することにも意欲を示している。しかしながら、企業自体は国家の統制から逃れようとする。政府もそうした動きには神経をとがらせており、アリババ集団やテンセントなどのネット大手をけん制するためにも独禁法の改正に着手し始めたという。既にアリババの傘下にある金融会社アント・グループの上場が、直前になって当局の介入により延期されるなどしている。企業の独走を抑えるために国家が何をできるのか。いまや、行きすぎた国家の行動が世界の耳目を集めるようになっている中、中国の決断である。

     

     しかしながら、本来テクノロジーは国家における国力の1つの要素でしかない。果たして、テクノロジーに優位性を持つIT企業が政府から独立して、世界を支配することは可能なのだろうか。いま、独禁法を武器に企業の独走を抑えようとする国家とそこから逃れようとする企業、両者のバランスが微妙な関係で動き始めている。うがった見方をすれば、独禁法とは、国家が自らの威信を失いつつあるがゆえの、国家の暴走ともいえるのではないだろうか。

     

     国家の収入(利益)は税金である。そしてその税金を社会や国民のために使う。利益を得る仕組み自体は民間企業でも同様である。民間企業はさまざまな商品やサービスの対価として利益を得る。そして、余剰利益を社会に還元する。それは単に余剰利益であることだけではない。顧客が求める製品やサービスそのものが国民の利益に応えるものであることも重要であるが、環境的な配慮や関係者の人権尊重、あるいは情報開示などの多様な取り組みが相まって、初めて企業が存続し得る本質であると考えることができる。そのような企業の取り組みをESG(環境・社会・企業統治)というのであるが、一企業といえども社会に対して全方向的に適切な行動をとらなくてならない時代になってきている。

     

     そう考えれば、いまや国家の役割と企業の使命が入れ子状態になり始め、企業は単に国家のために存在するのではなく、むしろ、国民の利益を誘導するための国家の一翼を担う役割を果たす使命があると解釈することもできるだろう。国家の概念をも変えることを視野に入れる時なのである。

     

    ■デジタル都市には企業の力が不可欠

     

     とりわけ新型コロナ以降、企業の役割とその姿勢が大きく変わり始めたことは論を待たない。企業が単に株主のためだけに存在するのではないことも明確になったと言える。テクノロジーを軸に、環境や社会全体への関わりを自ら認識しながら企業統治を進めることが求められ始めたからである。そうでなければ、企業が生き残ることはできない。国家が保護主義に走れども、企業は広くグローバルに果たす社会的責務を負いながら、企業としての役割を実践することになる。

     

     果たして、企業の未来を見据えた拡大化を独禁法という法の力を借りて抑え込むことが、国家にいま求められていることなのだろうか。企業が正しく生き残るために、社会的評価を受けている現実をむしろ後押しすべきなのではないのだろうか。企業がいま果敢に「都市づくり」に挑戦していることも見逃すことはできないだろう。国がスーパーシティー構想を喧伝(けんでん)している昨今である。デジタル社会に呼応した都市のあり方を実現するには政府や自治体だけでなく、さまざまな企業の力も必要になることは言うまでもない。そこに、かつての経済だけを重視した発想から一歩踏み出した、企業の資質が問われているのである。DX(デジタルトランスフォーメーション)がそうしたトレンドを促進させることになるだろう。その結果、企業のESGそのものがまた問われることになる。

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    掲載日: 2021年3月17日 | presented by 建設通信新聞

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