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研究と教育と創作と(6)
// 本文の表示 画像がセットされていない場合は、画像分の余白ができてしまうのでtxtクラスは使わない。 ログインしていない場合も画像は表示しない。?>【建築生産の可能性拓く多彩な活動/建築家・工学博士 内田 祥哉氏(東大名誉教授)が語る/隔絶・分離の不合理を乗り越えて】
◆木造建築研究フォラム/どん底からの復活
日本の木造建築は戦後、鉄筋コンクリート造に防火や耐震などの点からも圧倒され、とうとう絶えてしまう。僕の回りでは東京工業大学の後藤一雄先生が「絶やしてはならない」と先頭切って声を上げられた。一番きつくおっしゃったのが梅村魁先生で「鉄筋コンクリート造の講座は安心していいが、木構造は絶えてしまうから何か行動を起こしなさい」と。僕1人の力ではどうにもならないけど、絶えてしまいそうになると力が集まってくるもので、それまで林業と建築の木構造は隔絶されていたのが、お互いに手をつなぐ気になるわけです。そのどん底の時代に梅村先生におしりを叩かれながら復活しようとやり出したのが木造建築研究フォラムです。
農林省関係は林業試験場の場長をされた上村武先生が頼りで、文化財関係は奈良国立文化財研究所の鈴木嘉吉さん。木構造関係では松下清夫先生が辞められて誰もいなくなったところに坂本功さんが木構造をやってもいいときてくれた。これは天の救いみたいなもので、たくさんの木構造研究者が坂本さんの下から育ちました。
ただ最近は木構造と言えば構造計算も1種類だと思っている人が多いのではないでしょうか。木構造の解析の歴史をきちんとやってくださる人がいるといいですね。戦前で木構造と言えば中村達太郎先生ですがデザイン中心でした。伊東忠太先生も様式でしたが、その中に構造の要素はあった。それを構造的に解析したのはおそらく関野(克)先生ぐらいからで、本当に構造解析が入ってきたのは建築研究所の初代所長だった藤田金一郎さんからです。
藤田さんは大蔵省営繕管財局に建築研究室をつくり、いろいろな木構造の開発に取り組みました。久田俊彦さん、竹山謙三郎さんとか、松下清夫さん、後藤一雄さん。この人たちが木構造を研究し、それで体系ができる。それを戦後になって役所の人たちが利用する。一番利用したのは文部省の学校建築です。いまもかなり残っています。
◆学術・技術・芸術/学会、SSFに尽力
日本建築学会は、建築に関する「学術」「技術」「芸術」の進歩発達をはかると目的に3つ並べているのに、学会賞には技術の賞がなかった。それはおかしいと思っていましたので、会長に就任した時(1993年)に技術の賞をつくるには、もとになるものがなければいけないので論文集の中に技術報告集をつくったわけです。
サイト・スペシャルズ・フォーラム(SSF)が正式に発足したのは90年11月でしたね。職人が大事だ、職人大学をつくろうというのが最初のテーマでした。場所はどこがいいか、佐渡にしようと取り組み始めたのですが、それが(埼玉県)行田市に変わったところからいろいろ事件が起きて、よく分からないうちに終わってしまいました。制度に絡んでくると僕なんかは手も足も出ない。だけど小野(辰雄)さんは立派だと思いますよ。職人は一企業のものではない、社会の共有財産だというイメージははっきりしていました。それと職人は建築だけじゃない、土木もだよということで高橋裕先生から紹介された三浦(裕二)さんもいらっしゃいました。その三浦さんも、もう亡くなられてしまいましたね。
残り50%掲載日: 2018年4月4日 | presented by 建設通信新聞