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建築へ/カズ・ヨネダ氏、日本拠点にグローバルな活動展開/3・11復興支援きっかけ
// 本文の表示 画像がセットされていない場合は、画像分の余白ができてしまうのでtxtクラスは使わない。 ログインしていない場合も画像は表示しない。?>「東北の被災地で何かできることはないか」-。米国出身の建築家、カズ・ヨネダ氏が活動拠点を日本に定めたのは、ハーバード大大学院在籍時にニュースで見た3・11の津波の映像が大きなきっかけだった。同大の被災地支援活動に加わるために来日し、伊東豊雄氏らとともに岩手県釜石市で「みんなの家」の建設構想に参画した。活動終了後、日本の設計事務所勤務を経て14年に独立。1月に組織を法人化し、日本を拠点に世界で活動する準備を整えた。(企画局・吉岡結希)
「日本に軸足を置きながら、アーキテクトとしてグローバルに活動したい」-。米国で生まれ育ったヨネダ氏は、3年前に立ち上げた個人事務所「Bureau 0-1(ビューローゼロトゥワン)」(東京都千代田区)を1月に法人化した。愛着を持つ日本に活動の軸を定め、世界をまたにかけて建築家として活動していくという決意を表した。
社名の「ビューロ」には、フランス語で「机」、英語で「(官庁などの)局」といった意味がある。「一つの机から出発したという初心を大事にし、いずれは国家間の文化やシステムを動かす存在になりたいという思いを込めた」という。
ヨネダ氏は1983年にワシントン州シアトルで日本人の両親の元に生まれた。
一生の仕事として建築家の道を選んだのは、亡くなった母・由実さんの教えによるところが大きい。ヨネダ氏が7歳の時に由実さんのがんが発覚。3年後に亡くなるまでの間、2人で日本の伝統建築を巡る旅を続けた。
1年目の旅のテーマは「城」。2年目は「寺社・仏閣」、3年目は「庭園」とテーマを変え、国内の数多くの有名建築を見て回った。由実さんは3年目に庭園を巡っている途中に体調を崩し、帰国後、亡くなった。
この旅がヨネダ氏の進路を方向付けた。「母は自分の死期を悟り、生きている間に日本人としての誇りや精神性を自分に伝えたかったのだと思う」。ヨネダ氏は密度の濃い、充実した数年間をそう振り返る。
その後、亡くなった母の遺志を継ぐようにして、コーネル大学建築学科とハーバード大デザイン大学院で建築を学んだ。ハーバード大大学院で修士課程を終えようとしていた11年に、東日本大震災の津波に流される被災地の映像を見て、東北や日本の復興に貢献したいとの思いを強くした。
折よく、ハーバード大と伊東氏が提携し、東京に現地スタジオを立ち上げ、被災地支援の一環として岩手県釜石市に集会所を建設する「みんなの家」プロジェクトが始動。ヨネダ氏も、海外派遣教員として、学生らと共に、事業の立ち上げに加わるよう同大から要請された。
伊東氏が主唱者となり、不便な避難生活を強いられている被災者らが気ままに集まり、自由に語り合うための拠点施設を作る構想だった。この時の活動が、ヨネダ氏が日本に拠点を定める大きな契機となる。
同大の現地スタジオは2012年に閉鎖し、学生らは帰国。ヨネダ氏は、プロダクトデザインやスペキュラティブデザインを手掛けるタクラム(東京都港区)と連携してドイツの美術展「ドクメンタ13」に参加することとなり、日本に残った。ドクメンタ13では、「100年後の荒廃した世界における水筒」をテーマに、デザインを担当した。
ヨネダ氏は、人間が最も効率良く水分を摂取できるようにするにはどうすればいいかを考え、その解として、体内の水分を循環させて水分補給を助ける「人工臓器」というアイデアを発案。体から失われる水分を再び体内に戻し、効率的に循環させる機能とデザインを作品に具現化したことが高く評価された。この活躍がきっかけとなり、ディレクターとしてタクラムに迎え入れられた。
その後、14年に独立し、個人事務所を設置。1月に組織を株式会社に変更し、日本の地に根を下ろしつつ、国際的に活動する一歩を踏み出した。
欧米流の建築教育を受けたヨネダ氏は、「海外の建築家は大学で工学や歴史、哲学、芸術、先端技術など多様な分野を学び、建築や空間に反映させることが求められるが、日本では主にエンジニアとしての教育を受ける」と日本と海外諸国の差異を分析。「建築は総合芸術であり、世界を総合的に理解しなければ、建築家として価値を判断し、創造できないのではないか」と日本の教育方針に欠けている要素を指摘する。
ヨネダ氏を日本にとどまらせたものは、東日本大震災後に従事したプロジェクトと、母との建築を巡る旅だった。母との建築行脚で温故知新という日本の美意識を知り、東日本大震災を通じて、両親が生まれた日本の復興や発展に貢献したいとの思いを強くした。
日本では人口減少と少子高齢化が加速している。ヨネダ氏は「今まで当たり前とされた前提条件が根底から変わりつつあるからこそ、実現できる建築の姿がある。それを追求したい」と今後を見据える。
米ワシントン州生まれ。カリフォルニア州で育つ。2007年コーネル大建築学科卒。11年ハーバード大デザイン大学院建築学科修士課程修了。16年から慶応大大学院政策・メディア研究科特任助教。14年に個人事務所「bureau 0-1」を設置。1月に社名と登記を「Bureau 0-1株式会社」に変更した。
残り50%掲載日: 2018年4月13日 | presented by 日刊建設工業新聞